渋いカタチと純白なボディのギャップがいい
軽から普通乗用、そして商用にいたるまで、すっかりハコ型のクルマがもてはやされる世の中になった。そんな今こそ、見るだけで急に懐かしい気持ちが込みあげてくるのが、ワゴン・バンタイプのクルマだ。50年代後半から90年代後半までにつくられたミドルクラスの乗用車のなかには、ワゴンや商用バンなどのボディバリエーションをもつ車種が一定数存在していた。今回ご紹介する「日産・グロリア(Y30)」もそのひとつ。乗用車がベースであるからこそ生まれる“ゆとり”は、国産ネオクラ車にしかない魅力といえる。
とはいえ、Y30のグロリアバンは、昭和から平成にかけて個人商店や中小企業の社用車、官公庁の車両として街にありふれていたクルマでもあり、おしゃれに乗りこなすのには、いくら希少な存在になったとはいえ相応のセンスがいる。
この純白のグロリアバンを手に入れたのは、スタイリストの瓜坂拓海さん。それまでは、グレージュに塗られたホンダ・ジャイロキャノピー(三輪スクーター)をアシにしていた(現在も所有)。筆者はその頃から瓜坂さんを知っているが、振りかえると、商用車をおしゃれに乗りこなすセンスは当時から確立されていたのかも……?と思う。今年4月に買ったばかりというこのグロリアバンも、すっかり板についている。
グロリアは、初代がデビューした1950年代から高級路線を歩んできたが(当時は日産と合併前のプリンス自動車が製造)、2代目が出た60年代中頃から、すでに商用バンとステーションワゴンのバリエーションが存在した。この「Y30」と呼ばれる7代目が出た当時は、同様のバリエーションを展開していたトヨタ・クラウンが最たる競合。かつてはひとつの車種をベースに、高級志向の乗用車、大所帯向けのステーションワゴン、それを簡素にした商用バンというラインナップ戦略があったのだ。
瓜坂さんは、国産の他にもサーブ900セダンやシトロエンZXなど、個性際立つネオクラ車を探していたが、こうした希少車は出会いも大切な要素。今年、愛知県の実家に帰省した折に、ネオクラ車も取り扱う中古車店でこのY30グロリアバンに出会い、購入を決意した。
「真っ白というのが良かったですね。ボディのサイドにウッド調のパネルがついた仕様も人気ですが、僕にはあれが渋すぎて。フォルムが十分渋いから、色で抜け感を出せたらなと。あと程度もよかったんです。走行距離は7.8万キロでした」。
今年4月末に納車された際は、愛知県から東京まで快調に自走した。
「想像していたよりも乗り心地がよく、車内が広々としていてクーラーもしっかり効いてくれることに驚きました。はじめはフェンダーミラーの距離感が掴めず、雨の日は特に怖かったですが、徐々に慣れてきました。幸いにも今のところはノートラブルで快適ですが、目下の課題は長くつき合える主治医探しですね」。
暑さが厳しい夏も、スタイリストの仕事で衣類を運ぶ道具として使っているが、音を上げることなく乗り越えている。個体の管理状態が良かったのもポイントだが、タフなY30グロリア/セドリックは、ネオクラ車の中でも比較的安心して付き合える部類であるはずだ。
当時のカタログには「ゆとりとリズムを生み出す、高級ビジネスバン。日産の高級車づくりの伝統が生きています。」とある。30年近く経った今も、そのよさを十分に享受できることが素晴らしい。
1994年、島根県生まれ。森田晃嘉氏に支持したのち、2020年に独立。『MEN’S NON-NO』や『UOMO』をはじめ、ファッション誌や広告などで幅広い活躍をみせる。