走りにこだわりまくったアルファの純血セダン
かつて、アルファロメオの歴史はレースと共にあり、つねに時代の先端をゆく技術力を市販車にも投影していた。若きエンツォ・フェラーリも1920年代にアルファロメオのドライバーであり、のちに彼が自らのマシン(=フェラーリ)でアルファを負かしたとき「私は母親を殺してしまった」と言ったエピソードは有名だ。
1985年に登場した「アルファ75」は、そんな同社の創業75周年にちなんで名づけられたFR(後輪駆動)セダン。だが当時の経営状況は、70年代前半から尾を引く品質低下や、走りを追求するがための高コストな設計で破綻寸前。86年にはフィアットに買収されてしまう。それゆえ、ファンの間では75を「最後の純血アルファ」と評する声も多い。とにかくいい意味でクセが強いのだ。
音楽制作に携わる小田さんが、91年式の75 TSと出会ったのは5年前。それまでも複数のクルマを乗り継いできたが、遍歴を聞いてみるとランドクルーザー・プラドにビートル、初代アウディA3など手がたいラインナップが多い。いったいどこで75に食指が動くようになったのだろうか。
「はじめはトヨタのカローラレビン(AE86)など国産の旧いFR車を探していたのですが、海外での人気もあって高騰していました。そこで楽器などの荷物が載る条件で外車にも目を向けたところ、75を見つけたんです。それに妻が付き合っている頃から現行のフィアット500に乗っていました。もちろん75とは時代も性格も異なりますけど、乗ってみると『イタリア車もいいなぁ』って。ちなみに妻は500を2台乗り継いで、今はボルドーの500C。コレツィオーネという限定車です」
500を身近に感じながら、次第に旧いイタリア車に興味を持ち始めた小田さんは、ちょうどセダンも気になっていたことから75に目が留まった。車両は仙台のショップで購入し、現在はネオクラシックアルファに強い群馬県のショップで診てもらっている。
「なんの心配もせずに目的地にたどり着ける、と思って乗ると多少ストレスを感じるかもしれないですが、日ごろから気にして乗れば日常使いできますよ。例えばエンジンやギア、プロペラシャフト、タイミングベルトの異音などに敏感であることは大事。僕の75はバリ物ではないですが、仕事で楽器機材を積んで東京から名古屋まで走ったし、故障でのレッカー経験もゼロ。この頃のアルファは、よく言われるほど敬遠されるようなクルマではないです」
部品は次第に手に入らなくなっているが、例えばオルタネーターは軽トラ用を流用し、タイミングベルトを回すプーリーは一点モノをショップで制作するなどして対処が可能。ちなみに、ウィンカーレンズはなぜか中国の大手EC、アリババで手に入ったという。
2.0ℓのツインスパークエンジンはスポーティな音とともに軽快に吹け上がる。新規開発の余力がなかったことから設計の古さは否めないが、ミッションを車体後部に配置することで前後の重量配分を50:50とし(そのためコーナリングの安定感は抜群!)、リアブレーキは当時のフォーミュラマシンゆずりのインボードディスク式を採用するなど、走ることにひたむきなアルファロメオの技術陣の姿勢がうかがえる。重要なのは、75はモータースポーツファンや走り屋向けのクルマではないということ。当時のイタリアでは、パトカーやタクシーとしても広く使われていた。そんな大衆車のセダンをここまで走りのクルマにしてしまうのがアルファなのだ。
「一生乗り続けることを考えて、年内にエンジンを別のツインスパークに載せ替える予定です。外装もクリアが剥げてきているから、いずれは全塗装もしたい。現行のアシグルマも持ってはいるのですが、結局いつも、こればっかり乗ってしまうんです(笑)」
1992年生まれ。ランクル・プラドやビートルなどを経て、2018年にアルファ75を購入。アシにマツダCX-30も所有するが、75は「一生乗り続ける」と着実に手を入れ維持している。
最終更新日:2024.03.22