気づけば19万km。家族の思い出が詰まった一台
「最善か無か」。クルマ好きであれば一度は耳にしたことがあるフレーズではないだろうか。メルセデス・ベンツの創始者のひとりであるゴットリーブ・ダイムラーの格言であり、同社の理念でもある。この言葉を最も体現するモデルとして、今回ご紹介するW124を評価する声は今も絶えない。メルセデスが膨大なコストと心血を注いで開発した名車だ。
W123とバトンタッチする形で、1986年にセダンがデビュー。翌年にはクーペとカブリオレ、そして88年にステーションワゴン(厳密にはS124と呼ぶ)がラインナップに加わった。ちなみに、バブル全盛期の東京で「小ベンツ」と呼ばれた190E(W201)も同じく「Eクラス」を名乗っていたが、あちらはコンパクト、そしてこちらがミディアムという住み分けだった。
「18歳で免許を取ってから最初に運転したのが父のW124でした。当時『この歳でこのつくりの良さを知ってしまったら、もうヘタに他のクルマに乗れない…』と思いましたね」
UOMOでファッションやクルマの企画を担当するエディターの西坂は、免許を取得した9年前から今まで定期的に実家のW124に乗り続けている。
「幼い頃に、祖父がオニキスグレーのE320セダン(95年式)に乗っていました。当時としては型落ちのベンツでしたが、やはりつくりの良さは評判で。祖父が2004年に亡くなった後、父がそれを引き継ぎ、2008年にこのワゴンに乗り換えました。私は中学生になりたてで、祖父のクルマを手放すと聞いて泣いたのを覚えています」
乗り換えたワゴンは、走行距離5万kmでほぼワンオーナーの上物。そこから早くも14年以上が経ち、気づけば走行距離も19万km近くにまで伸びたが、今も快調そのもの。ヘタに気にしすぎて距離を乗らないよりも、いたわりながら日常的に使ったほうが、クルマの調子は案外よかったりするものだ。
「13年の間にエンジンのヘッドもオーバーホールしましたし、ATもリバースが入らなくなりオーバーホールしています。他にも足回りのゴムやマウント類も交換。簡単に壊れるクルマではないですが、累計すると、現代の同セグメントのクルマに乗り換えるよりお金がかかっているかも(笑)。自分が乗ることもあり、費用を折半したこともありました。W124は、手をかけるごとに、シャキっと新車当時のように応えてくれる。フレッシュな感覚の再現性は、どのクルマでも等しく高いわけではありません。もとのつくりがきわめて高次元かつ丁寧だからこそ、なせることだと思います」
触れるところに剛性感と安心感のあるドイツ車らしい堅牢性。タイヤの接地感が伝わる重たいパワーステアリング、ゆったりと2速で発進するATのフィール、主張は控えつつ必要十分な仕事をする6気筒のツインカムエンジン……。W124は、こうした乗り味を精密な機械の組み合わせによって表現した最後の時代のクルマだった。
「仕事柄、EVや最新のラグジュアリーカー、コンパクトカーに触れることはよくあります。もちろんそれらはとても素晴らしいですし、かつてのようにメーカーによってクオリティに差もなく、いずれも安心して乗れる便利なものばかりです。それでもW124に乗ると『あぁ、日常使いするクルマってこれで十分だよね』『30年近く前のクルマだけど、124は成熟した工業技術のひとつの頂点だったんだな』と感心することがあります。
父親とのクルマ談義のなかで、同じくW124の500Eや同年代のSクラス(W126)なども話題にあがるというが、家族の想い出が詰まったクルマをそうやすやすと乗り換える気にはならないという。W124は趣味性が高いネオクラ車というより、あくまで自家用車なのだ。
「こんなことを言うと元も子もないですが、W124は長年わが家にあるので、あまりネオクラシックという自覚がないんです(笑)。ごく普通に『昔からうちにある親父のクルマ』。これからもそうだと思いますが、歴史的傑作に乗り続けられることにいつも感謝しています」。
1995年生まれ。UOMO本誌では主にファッションとクルマを担当する。自身の愛車は1970年式のアルファロメオ GT1300 Jr.。