夫婦でベーシックな機能美に浸る
国民車はその性質上、ベーシックなものが多い。が、大量生産を見据え、限られた予算で多くの人に親しまれるパッケージを考える必要があるからこそ、そこには作り手の思想や工夫がいたるところに散りばめられている。
デザインの巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロによる直線を多用したコンパクトな外観と合理的なインテリアをもつフィアット・パンダは、1980年代のイタリアを象徴する国民車だった。オイルショックで景気が落ち込んでいたフィアットの社運を賭けたプロジェクトでもあり、ジウジアーロ率いるイタルデザインは、その設計とデザインをすべて任された。
試行錯誤を経て1983年にデビューしたパンダは、エンジンやデザインのマイナーチェンジを受けつつ、より実用的なスペックを備え、2003年まで製造される超ロングセラーになった。それだけに比較的高年式の個体も多く残っていて、中古の選択肢も幅広い。そんなパンダを初の愛車に迎えた美容師の加藤秀さんは、スタイリストの奥様とともに、パンダの「必要最低限のなかにある喜びと幸せ」を日々分かち合っている。
「結婚してから2年近くが経って、クルマを買おうという話になったんです。幸いにもふたりして自然と少し古いクルマに興味が湧いてきました。そのなかでボルボ240やフォルクスワーゲン・ヴァナゴン、ゴルフⅡなども候補にあがりましたが、家の近くにはパンダが3台生息していまして(笑)。気づけば意識して探すようになっていました。運転が得意ではないけど頻繁にクルマを使う妻にとっても、この小さく見切りのいい設計は安心できてよかったのだと思います」
茨城県のパンダ専門店から購入した加藤さんの個体は、1999年式。ボディも一度塗りなおされていて状態はきわめて良好。夫婦で運転するため、トランスミッションはMTではなく、セミオートマの「セレクタ」を選んだ。だがこのセレクタ、故障が多く修理が困難であることでつとに知られている。
「低速時にギアが繋がるタイミングで、シフトショックを感じることはたまにありますが、今のところ変速できずにレッカーされたような経験はありません。レッカーといえば、以前にホースバンドの劣化でクーラントが吹き出してしまったことがありましたが、それもホース交換で済みました。あまり手がかかる印象はないですね」。
幸いにも、今のところ調子は保っているみたいだ。
平日は主に奥様がスタイリストの仕事で衣類を運びながら使っていて、加藤さんは休日に乗ることが多い。
「センターコンソールに付けられたクーラーはほぼ効かないですが(笑)、キャンバストップから空気を取り入れられるので、真夏でもない限りはそこそこ快適に乗れます」。
固い意志をみせる一方で、ほかにも気になるクルマはあるみたいだ。
そこかしこに散りばめられた設計陣の知恵や、飽きがこないデザインに囲まれれば、多少の不便があっても、そんなことは気にならなくなってくる。
1993年、東京都生まれ。東京・南青山にある美容室「une/うね」でヘアスタリストとして活躍する。