“東京スニーカー氏”ことエディターの小澤匡行がスニーカーにまつわるギモンに答える月イチ連載。今回はNIKEのダンクブームについて。
NCAAの強豪、ジョージタウン大学のために作られたターミネーター。当時、NIKEはエア フォース1をすすめたがエアの感覚を当時の指揮官が嫌がって別モデルを依頼し、このモデルが生まれたとか。写真は2003年の復刻モデル。当時はオリジナルの再現ぶりが甘くて納得がいきませんでしたが、今見るといいかなと。時の変化ですね。私物
何度かこの連載でも書いた気がするのですが、2021年はNIKEのダンクに彩られています。僕もこれまで、何色買ったか数え切れない、思い出深い一足です。しかし1995年、原宿のとんちゃん通りの路地裏で、白×オレンジの偽物を怖そうなお兄さんに4万円で売りつけられそうになったのが出会いなので、あまりいいスタートではないですね。当時はヴィンテージでもマイサイズが10万円以下で売っているはずがなかったので、声をかけられた途端に「あ、偽物だ」と思ったのですが、よく考えるとフェイクをその値段で吹っかけるとは、強気な押し売りでしたね。それだけ市場に熱があった、ということでしょうか。
もしその偽物がダンクの兄弟分であるターミネーターだったら、明治神宮前駅の八千代銀行(当時)に手数料を払ってでも貯金を下ろしていたかもしれません。僕だけでなく、当時の空気感的に「ターミネーター>ダンク」だったと思います。出会いは中学3年生のとき、部活の顧問に1985年のNCAAバスケットボールの決勝戦「ジョージタウン大学 VS ビラノバ大学」のVHSのビデオテープをもらいました。それはビラノバの地味なオールコートプレスからのゾーンディフェンスを学ぶための教材でしたが、僕はパトリック・ユーイング率いるジョージタウン大学のチームが、全員同じ紺と灰色のバッシュを履いていたのに目を奪われました。しかも一時停止するとヒールに「HOYAS」と書いてあり、当時はまったく意味不明。このバッシュが稀少を極めた「ターミネーター」であることを知ったのは、高校に入ってから読んだ「Boon」でした。
21歳になってすぐ、翌年の留学前に生のアメリカを見ておきたかった自分は、初の一人旅をしました。目的地はとりあえず首都ってことでワシントンD.C.。リンカーン記念堂やホワイトハウスを観光し、中心街のヴァージンレコードで買ったK-Ci&JoJoのカセットテープを聴く自分に酔いしれながら、少し離れたジョージタウン大学に向かいました。中学生から高校生まで地続きだった、紺と灰色への憧れをもち、念願の体育館にたどり着いたのはよき思い出です。ターミネーターには出会えませんでしたが、日本で言う生協ショップでTシャツやスウェットを買って帰りました。今も服のワードローブは紺とグレーが中心。メンズの基本色ではありますが、僕のルーツはジョージタウン大学かもしれません。
これだけダンクが流行ると、次はターミネーターが来るのでは?とささやかれています。僕もそろそろ2003年に復刻されたデッドストックを履こうかなと思ってひもを通しました。調べれば二次流通でもこの復刻はなかなか高額らしいのですが、やはり自分だけのストーリーをもつ靴は手放せません。この空前のダンクブームを機に手に入れた人には、ぜひ思い出をつくってもらいたいです。感情移入する人が多いほど、ムーブメントが繰り返されるのがスニーカー業界の面白さですから。
Photos,Composition&Text:Masayuki Ozawa