2021.03.01

今、大人が狙うべきスニーカーがプーマ「スウェード」な理由【教えて! 東京スニーカー氏 #46】

“東京スニーカー氏”ことエディターの小澤匡行がスニーカーにまつわるギモンに答える月イチ連載。今回は2021年1月に復刻したプーマの「スウェード」について。

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スニーカーは戦国時代。勢力分布はナイキを中心に大きな城のお堀の外側にさまざまなブランドが軒を連ねている城郭都市みたいなイメージ。プーマ スウェードは最近「こんな格好よかったっけ?」と思い直してヘビロテ。パンツとのバランスもすごく新鮮。黒×銀がいちばん好きなカラーです。¥18,500/プーマ(プーマ お客様サービス)



「スニーカー復刻熱望座談会」はご覧いただけましたか? 座談会は大盛り上がりで予定時間を大幅にオーバーした白熱クロストークでした。ただ、あの企画はあくまで妄想だったので、ここでは1月に復刻が決定したプーマの「スウェード」についてお話ししたいと思います。スポーツシューズがストリートに浸透するにはカルチャーとの結びつきが不可欠ですが「スウェード」は’70年代にいち早くブレイクダンサーの目に留まり、ヒップホップカルチャーに愛され、’90年代にはUKの音楽シーンにピタリとハマりました。この不朽の名作のルーツはバスケットボールシューズ。以前からプーマの軽量で丈夫なスエードシューズを履いていたNBAニューヨーク・ニックスのウォルト・フレイジャー選手のためにラストや素材をカスタムしたモデルです。後に正式に契約を交わしたプーマは、サイドに彼のニックネーム“CLYDE”をプリントしたことで、後に「クライド」と呼ばれるようになり、一般販売されました。

フレイジャーとの契約は1973年から’79年まで。その後、見た目を変えずにスペックを見直し、オフコート向けに販路を広げたのが「スウェード」。これ実はちゃんと命名してなかったために素材名がそのままモデル名になったオチ的なエピソードも。たとえるなら今42歳の僕の名前である「まさゆき」というモデル名が使えなくなり、広義的な42歳の「おじさん」に変わった感じ。ネーミングは雑でも作りの変遷が細かいのがこのモデルの魅力。初めはヴィンテージ市場で価値の高い旧ユーゴスラビア製でソールはセメント製法を採用。しかし’80年代中期にサイドマッケイ(オパンケ)製法に変わってソールの横にステッチが入り、見た目の印象が変わります。’80年代後半になるとユーゴ内の共和国分離の動きが激しくなったからか、台湾や中国製に移行。ドイツ本社から生産拠点が遠ざかった結果、品質の統制をさらに徹底し、’90年代には今見ても美しいシルエットのモデルが完成します。ジャミロクワイやビースティ・ボーイズのアドロック、ブラーのデーモンらが着用していたのもこの頃のもの。外羽根がひもできゅっと引っ張られるあの細い感じが最高です。

今も定番でリリースされている「スウェード」ですが、プーマはこの激動の時期のフォルムや仕様やカラーを狙い撃ちで再現する技術と熱量をもっていて、1月には旧ユーゴスラビア製初期のセメント製法を日本製で再現します。スニーカーカルチャーの中心が常にHYPEなスニーカーなら、これはその外側。つまりファッション好きにとって価値ある一足だと思うんです。初めは一人のスターのために作られ、後に単なるおじさんのような一般名詞で呼ばれた「スウェード」もリアルに40歳越え。仕様を変更しながら渋みを増していく感じは、まさにUOMO世代の理想では? 大人になって履くと急にしっくりくる感覚が、このモデルにはあるんです。

小澤匡行プロフィール画像
小澤匡行
「足元ばかり見ていては欲しい靴は見えてこない」が信条。スニーカー好きが高じて『東京スニーカー史』(立東舎)を上梓。靴のサイズは28.5㎝。


Illustration:Yoshifumi Takeda
Photos,Composition&Text:Masayuki Ozawa

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