2023.05.23
最終更新日:2024.03.08

【転職】TBSアナウンサーから映像プロデューサーへ。国山ハセンさん「答えもなく悩み続けるよりもとにかく一歩踏み出してみる」

約20年後にはいま働く会社で定年を迎える人も多いであろう40代。そして自分が本当にやりたいこととは? について自問自答する人も多いであろう20代。そんな大人たちに向けて「これからどうする、俺!?」のヒントになるお話。

【転職】TBSアナウンサーから映像プロデの画像_1

TBSアナウンサー ▶︎ ビジネス映像メディア PIVOTプロデューサー 国山ハセンさん

 

答えもなく悩み続けるよりもとにかく一歩踏み出してみる

ビジネス映像メディア PIVOTプロデューサー 国山ハセンさん

このままここにいても また同じ悩みを繰り返す

 2022年末、国山ハセンさんはTBSを退社し、10年に及ぶ局アナ生活にピリオドを打った。「王様のブランチ」「Nスタ」「アッコにおまかせ」「news23」など、多くの人気番組を担当し、はたからは順風満帆に見えていた中でのキャリアチェンジだった。

「ありがたいことに本当にいろいろな番組にかかわらせてもらいました。全部の部署と仕事できたみたいな感覚があって、そうなってくると、自分にとって次のステージは何なのか、何がキャリアアップなのかということを真剣に考えるようになったんです。報道番組でキャスターを長くやるというのも一つあったんですけど、番組を成り立たせるにはいろいろな外的要因とかもあって、自分一人が望んだところでどうにかなるものではありません。じっくりちゃんと考えた結果、ある程度自分で意思決定できて責任をもってやれる仕事がしたいと思って、そこからは迷いなくスパッと決めました」

 実は、以前にもアナウンサーを辞めようと思ったことはあったという。

「朝の情報番組(『グッとラック!』)でMCをやらせてもらったことがあったんです。MCをやりたいということは入社以来ずっと言っていて、それがかなったのですが、番組は1年半ぐらいで終わっちゃいました。ほかのポジションの人たち、それこそディレクターやプロデューサーは番組が終わっても次が決まっていたりするんですよ。でも、アナウンサーはそうではなくて。いきなり宙ぶらりんになったんです」

 目標であったMCの仕事を任され、覚悟をもって一生懸命やってきたけれど、自分の思いとは関係なく、簡単にキャリアがストップしてしまうことにショックを受けた。

「そのときはけっこう本気で辞めようと思って、いろいろな人に会って話を聞いたりしました。フリーアナウンサーの道も考えましたし、まったく違う職種に就くことも考えました。あらためて自分が何をしたいのか見つめ直したときに、伝えることもそうですが、番組づくりだったり、何かものをつくることがしたいと思ったんです。であれば、まだテレビでできることがあるんじゃないか。そう考えるようになったら、しばらくして『news23』のキャスターに決まったので、あのときとどまってよかったなと思います。得がたい経験ができたので」

「news23」では、スタジオを出て現場取材を担当するなど、やりがいを感じていた。自分が関心をもっていることをもっと深く取材したい。何なら番組を一からつくってみたい。だが、それを実現するには制約が多すぎた。

「もっと尺が長いものをつくりたいと思ってもつくれなかったり、出せるものも限られていたりして、やりたいことができない。会社組織なので、信頼していたスタッフが異動でいなくなったり、人事によって番組の方針が変わったりということもあって。自分であんまり意思決定ができないという現実に再び直面して、このままここにいてもまた同じ悩みの繰り返しだろうなってことにはっきり気づいたというか」

 そんなときに、ウェブやアプリのビジネス映像メディアを運営するPIVOTの関係者と知り合った。

「その方はもともとTBSの制作会社にいて、たまたま廊下ですれ違ったときに、PIVOTに移ることを聞いたんです。今度遊びに来てくださいよと言われたので、本当に遊びに行って(笑)。いろいろ話をするうちに、次世代のビジネスメディアを新たにつくるというミッションに共感して、ここでなら自分のやりたいことができるなって思いました。それと、個人的にライフステージの変化もすごく大きかったですね。それもあって、自分のやりたいことをちゃんと追い求めてみたいなと思ったんです」


国山ハセンさん 自分がやりたいことを見つめ直し、 追い求めてみたくなった
自分がやりたいことを見つめ直し、追い求めてみたくなった

ここで決めて動かないとこんな状況は二度とない

国山ハセンさん 年表図

 昨年、ハセンさんには、プライベートで大きな出来事が二つあった。一つは長男の誕生。もう一つは父親の死である。

「昨年の6月末に父が亡くなったんです。3年ぐらい闘病していて、それはやっぱりリアルなターニングポイントでした。死んだら終わりなんですよね。当たり前なんですけど、そのことをものすごく肌身で実感できました。その時期は育休明けで、父の容体が悪化していって、自分自身は何とか前を向きたいと思っていても、会社にいると何となくもやもやして、すごくカオスな状態で。いろいろな人に、子どもが生まれたばかりなのに転職するってすごいねって言われたんですけど、本当に人生における重大事が一気に起きたので、逆にここで決めて動かないとこんな状況は二度とないと思って、踏み出したというのはありますね」

 そして、’23年1月、PIVOTとプロフェッショナル契約を結んだ。給与はアナウンサー時代と同水準をキープ。映像プロデューサーの肩書をもち、番組の企画だけでなく、MCのポジションもこなしている。

「本当にいろいろやっています。ヘンな話、自分はけっこうできるほうだと思っていたんですけど、実は何もできてなかったんだなってことを痛感する毎日です(笑)。でも、やりたかったことなので、すごく楽しいですね。やりがいしかないです」

 キャリアを文字どおりピボット(旋回、転換)したが、この先のビジョンは「正直わからない」そう。

「ここまでは考えられましたけど、これからのことはまだ全然思い浮かばないですね。スタートしたばかりですし、あんまり先々のことを考えてもよくわからないので、可能性は無限大だなと思って楽しく頑張っているという感じです。こんなこともやってみたい、あんなこともやってみたいと思うタイプなので、全然違う職種に挑戦しているかもしれないし、もしかしたらまたキャスターをやっていることもあるかもしれない。本当にわからないです。なので、今はわからないことを楽しみたいなというところですかね」

 30代前半で大企業を辞め、スタートアップに行く。自分と同じように挑戦する人の背中を後押しすることが自身の役割なのかなとハセンさんは言う。

「そういう人が増えていいと思っていて。ずっと同じ会社にいて、そこで出世していくことが一つの美学だったかもしれないんですけど、今はいろいろなキャリアの在り方が認められてきていると思うんですよね。そうした現実と可能性を示したいなというのはあります。大事なのは、前向きに頑張るということ。つまらないことで悩むよりも、とにかく前に一歩踏み出してみる。その姿勢を自分なりに表現できたらうれしいなと思っています」


PROFILE
1991年生まれ。東京都出身。中央大学商学部卒業。2013年4月、TBSにアナウンサーとして入社。’22年12月に退社。’23年1月よりビジネス映像メディア「PIVOT」の映像プロデューサーに就任。



Photos:Go Tanabe 
Illustration:Rie Kuriyama 
Text:Masayuki Sawada

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