「自分と気が合う」シティのオープンカー
ホンダが生んだハッチバック「シティ」は、エポックメイキングなクルマだ。1980年代はVWゴルフやプジョー205、ルノーの5など、実用的で小洒落た3ドアハッチバックが花咲いた時代だった。が、シティはそうした欧州勢とも一線を画す、日本独自のコンパクトカーだった。1981年にデビューしたシティは、「トールボーイ」と呼ばれるポップなスタイリングがヒット。次第にターボを搭載した刺激的なモデルを追加するなど、走りの面と合わせて当時の若者の心を掴んだ。
「マルセイユブルー」と呼ばれる地中海をイメージした青がまぶしい小野康太郎さんのシティは、1985年式。前年にラインナップに加わった「カブリオレ」だ。この小さなクルマも、イタリアのカロッツェリア(ボディデザインの工房)ピニンファリーナの手にかかれば、ご覧のようなソフトトップとルーフバーを備えた本格的なオープンカーに様変わりする。
「買ってからまだ1年半ほどですが、目立った故障もなく乗れています。やはり『シティ』という名の通り、街中での運転が楽しいですね。最近、兄弟で自転車のショップを始めたのですが、このクルマは屋根が開くので、自転車も分解して積める。とても助かっています」
実は、小野さんは最近までプロのロードレース選手だった。中学時代から頭角を表し、一時期はイタリアに4年間住み、スイスのチームで活躍した実力をもつ。そんな小野さんが日本に帰国して最初に選んだ愛車は、アルファロメオの3ドアハッチバック「145」だった。
「当時は自転車が積めることが必須条件でクルマを選ばなくちゃいけなくて。イタリア車が好きというより、たまたまその当時に知り合いが乗っていた縁で145を譲ってもらったんです。でも楽しいクルマでしたね。ただ、引退したタイミングで、クルマ選びの幅も広がったことだし、いったん自分で意思をもって愛車を選び直そうと思ったんです」
趣味性が高いクルマをネットで探すなかで、自分にぴったりハマったのがシティカブリオレだった。カブリオレには12色も展開があったが「乗るならマルセイユブルーしかない!」と小野さんは決めていた。すると、しばらくして状態の良い売り物が。小野さんの父親がホンダファンであることも相まって、話はトントン拍子で進んだという。
「クルマはできれば人と被りたくないですが、とはいえ気軽に扱えるものが条件。シティの気負っていない感じは自分の性格と合っている気がします。あとは、コンパクトで丸目という可愛らしさもありながら、シルエットがゴツゴツしているところが好きですね。もちろんオープンになるところもいいし、少し不便なところも含めて全部が好きになれるクルマです」
整備はホンダのネオクラシックを得意とする店に出しているが、オイルや水温、燃料系統など、基本的な箇所に注意を払えばそうそう壊れないクルマだという。しかし、メーカーからの部品供給はすでに途絶えている。
「確かに部品供給には不安がありますが、初代シティはファンが多く、大切に乗っている方ばかりなので、情報を交換したり対策の仕方を共有したりと、維持はどうにかなる雰囲気があります」
ホンダ車に限らず、同世代のクルマ好きのコミュニティにも兄弟で参加して楽しみの輪を広げている小野さん。自転車に次いでクルマにもどっぷりハマっている様子だ。
「シティは手放せないですけど、反動なのか、遅くなくて快適かつ趣のあるクルマも欲しい。ちょっと興味が湧いているのは、三菱の2代目デボネア。アクアスキュータムとコラボしたレアなモデルがあったんです。実物を見てみたいですね(笑)」
1997年、東京都生まれ。中学時代よりロードレースに目覚め、高校1年でJプロツアー参戦を果たす。その後、4年間のイタリアでの活動などを経て2021年に現役引退。現在はフィットネストレーナーをする傍ら、兄弟で旧型のロードレーサーを街乗りにカスタムするショップ「ono wheel」を立ち上げる。