博覧強記の料理人・稲田俊輔が、誰もが食べることができながら真の魅力に気づけていない、「どこにでもある美味」を語り尽くす。
第1回|カルビとライスが生み出す「本能の焼肉」のグルーヴ
焼肉って、突然食べたくなって居ても立ってもいられなくなることってありません? そういう時に思い浮かぶ焼肉の光景、僕の場合は完全に「カルビとライス」です。
ふだん仲間内で焼肉屋さんに繰り出す時などは、タン塩とビールから始め、希少部位も塩でいったり、ホルモン各種とキムチでダラダラとビールを飲み続けたり、といった一連の手順を踏みます。メンバーによっては「焼肉店でライスは邪道」みたいな雰囲気に傾くこともあり、最後はそのまま冷麺で締めたりもします。
しかし、突発的に本能が焼肉を求める時、脳裏に浮かぶのは結局カルビなのです。もちろん塩なんてとんでもない、絶対にタレです。タレ漬けのカルビに更に付けダレをたっぷり絡めて飯にワンバウンド、肉を口に放り込んだらすかさずタレで汚れたご飯で追いかけます。肉も飯もまだ口の中にある状態で更にキムチまで無理やり押し込み、張り切りすぎて喉がつかえそうになったら慌ててスープに手を伸ばし、とにかく忙しいったらありゃしない。
最初に生ビールの一杯くらいは飲むかもしれませんが、それはあくまで肉と飯の前段階として、喉と胃を拡張しておくために他なりません。「本能の焼肉」の主役はあくまで肉と飯。クライマックスのひと時、肉と飯は絶え間なく常に口中にあります。いや、絶え間があってはならないのです。一気呵成でなければならない。
この両者が言うなればドラムにおけるキックとスネアであり、常に力強く骨太なリズムを叩き出します。そこにキムチやスープがシンバルやタムのごとく華やかに絡まり、極上のグルーヴが生まれます。カルビの皿に申し訳程度に添えられたシシトウなどの野菜が小技の効いたフィル・インを差し挟むのも、これまたささやかだけど至福の瞬間。焼肉はグルーヴです。努努、グルーヴを絶やしてはならぬ。絶やさないためには、次の肉を網にのせるタイミングも重要です。これが裏拍です。裏拍を感じ続けるのがグルーヴの極意です。
突如そんな焼肉気分が昂まった時は、当然すぐにでも焼肉店に駆け込みたくなります。焼肉店と言っても色々です。高い店もあれば安い店もある。正直なところ牛肉というものには、いささかシビアな序列があります。例外が無いとは言い切れませんが、基本的には、高いほどうまいというのが冷徹な現実でもあります。
高い店の柔らかい和牛カルビは、ライスと共に造作なく口中で解けます。グルーヴがメロウなんですね。ただし安い店の安いカルビには、それならではの良さもあります。なかなか嚙みきれないスジのおかげで、肉ひと切れの口中滞在時間は長くなり、肉・米・肉・米 ではなく 肉・米・米・肉・米・米 という変則的でトライバルなビートが奏でられるのです。特に昔ながらの庶民的な焼肉屋さんのカルビは今どきのおしゃれな店とは違い、肉に最初からたっぷりのタレがギッタギタに揉み込まれているもの。そこにはニンニクもガッツリ効いています。すなわちカルビひと切れあたりのライス処理能力が異様に高い。これなら米のターンが連続しても何ら問題ありません。
読者諸氏の中には、大人になって脂の多い高価な霜降り肉がつらくなった、という人もいるかもしれません。そうなると安い店の輸入肉の方がむしろ有り難かったりもするでしょう。しかしその場合、あえて高い店で、カルビではなくロースという手もあります。そんな大人もまたかっこいい。逆に、安い店で上カルビ、というテクニカルな選択肢もあります。そういう店の上カルビは、脂多めと言っても程々のことが多く、更にニンニクの効いたタレでギッタギタになっているならば、個人的にはそれが焼肉の最高峰です。
もっとも、最高の焼肉は人それぞれでもあるでしょう。その時の気分だってあります。高い店か安い店か、カルビかロースかはたまた上カルビか。決断を迫られ、熟考の末、腹を決めることになります。
しかし実は、この先がちょっと問題です。例外的な一部の店を除き、一人焼肉というものには若干のハードルがある。目当ての店を覗いて、あきらかに暇そうならいいのですが、吟味して選び抜いた店は、高かろうが安かろうが繁盛しているものです。テーブルが1、2卓空いていたとしても、その4名卓を自分一人が占拠してしまうのはさすがにしのびない。令和に生きる我々は決して一人飯に臆してはならぬ、と僕は常々主張しているのですが、それとこれとはまた話が別です。
そういう時に我々を救ってくれる意外な救世主がいます。それが松屋の牛焼肉定食。もちろん焼肉店の焼肉とは完全に別の料理と言っていいくらい違うものなのですが、人間そこは切り替えも肝心。何より、どんなに街に人が溢れる週末であっても、松屋はいつだって一人客を優しく迎え入れてくれます。
四角い皿に盛られた松屋の焼肉は、一見ペラペラで頼りなくも見えます。しかしひとたびそこにタレをどっぷりと直がけして飯と一緒に頰張れば、きっと誰もがこう思うことでしょう。「俺が求めていたものは、もしかすると結局これだったのかもしれない……」。
松屋の牛焼肉定食のグルーヴは、極めてシンプルです。しかしそうだからこそ、それは我々の本能をダイレクトに鷲摑みする。焼肉界のガレージパンク、それが松屋の牛焼肉定食なのです。

料理人・文筆家。「エリックサウス」総料理長を務めながら、さまざまな食エッセイを執筆。近著に『ミニマル料理「和」』(柴田書店)などがある。