前号の京都出張の際に衝動買いした藍染めの作務衣を着てみました。昔、ハリウッドランチマーケットのボス(垂水ゲンさん)の作務衣に大いに憧れたものだが、さて、僕は作務衣の似合う大人になれたか?
僕は毎朝、時間をかけてその日着るものを決める。時差ボケの朝も、前夜に大酒を飲んだ二日酔いの朝も、今日一日何を着ようか真剣に考える。その日の予定をチェックし、会う相手や場所のことを考えて服や靴を選ぶわけだが、家を出た後に「失敗した!」という経験も数限りなし。
昼間の予定と夜の予定のシチュエーションがあまりに違いすぎるのに、家に帰って着替える時間がない!ということも多く、結果、昼も夜も「スベった」ケースも。でもその日の服を考えないわけにはいかない。だって楽しいからね。
僕の場合、仕事柄、普通の人よりはずいぶんといろいろな服を着ていると思う。でも世の中には“いろんな格好”ではなく、いつも同じような格好をしていて、しかもそれが格好いいという人がいる。もちろん、毎日ぴったり同じ格好ではないのだが、その人の確固たるスタイルが、その人をいつも“同じ格好”に見せている。つまり、服より何より、その人そのものが不動なのだ。その不動の人間性が放つオーラに、僕は強く惹かれてしまう。
若い頃、よく飲みに連れて行ってくれた垂水ゲンさんや吉田克幸さん(ポータークラシック)は、藍染めの服を好んで着ていた。よく見ると、カバーオールジャケットを着るかのごとく作務衣の上だけを着ていたり、時には半纏のような上着を羽織ってバーカウンターにいたり。
パリの街角で作務衣姿のゲンさんを見かけたこともあった。そのうち僕も年を重ねたら、作務衣を着こなせるようになりたいな。…若い僕はそう思った。
そして今年の6月、僕はUOMOの取材&撮影で京都へ行った。その途中、東山三条付近でなんとも京都らしい日本家屋を発見。外からガラス戸の中をのぞくと、そこの住人が使っているとおぼしきバイクや自転車が置いてあり、その上に数点のつなぎがぶら下がっていた。値札がついている。そして反対側のラックには、透明の袋に入った作業着が積まれていた。
「お、作業着の店か」と興味が湧いて入ってみることに。なんだか中学生のときの友達の家と造りが似ているな~と、懐かしい気分に浸っていたら、中央に作務衣が飾られていた。藍染めの色合いもいい。しばらく店内であれこれ見ていたのだが、誰も出てこない。
しびれを切らして「すんまへ~ん!」と叫ぶと、奥から台所仕事中らしきオバサンが出てきた。「あら、すんまへんな~。待たはった?」。「いや~、この作務衣、買いたいんどす」とすっかり京都弁で答える僕。「ほな、試着しておくれやす」とオバサン。「え? どこで??」「そこんとこ上がって。私、こっち向いてますさかい、どうぞどうぞ」。見られるのは別に構わないのだが、人家に上がってフィッティングという状況に一瞬たじろいだ。
でもたじろぎつつ、二つのサイズの作務衣を試着。家の奥をチラ見すると、遠くにちゃぶ台が見えた。その瞬間、作務衣姿の自分が「突撃!隣の晩ごはん」のヨネスケに思えた。オバサンの「大丈夫でっか?」の問いに、ヨネスケを真似たかすれ声で「ふん、ダイジョーブダイジョーブ。今晩のおかずは?」と答えてしまった。
ということで、水無月の京都、民家ブティックでゲットした作務衣がこれであります。
Illustration:Sara Guindon
Photos:Hisashi Ogawa