パリコレへ通うようになって30年以上。フランスには僕の憧れるものがたくさんある。週末の蚤の市、夏休みの南仏へのバカンス、スポ根感のないエレガントなスポーツ用品、水のボトルデザイン、デパートの内装、そして情緒ある古い建物と共存するモダンな街づくり。「創造」を大事にする姿勢には感服する。パリコレ以外でも魅了されっぱなしだ。
「ルサン パレイユ」のカバーオールジャケットを手に入れたのは昨年の春。スタイリストの友人が展開しているブランドのショールームに行ったとき、「着てみてください」といただいた。そのときは「着るだろうか?」と思ったが、今年になって着始め、最近は2日に1回は着ている。買ったのに着ていない大量の服を横目に、去年いただいた服に袖を通す。多少の罪悪感にさいなまれつつ、僕は颯爽と(?)玄関のドアを開けた。
古い話になるが、高校3年生の秋、僕は就職先の内定をもらった。そこから卒業までの数カ月は若気の至りで「一生分遊ぶぞっ!」という気持ちで毎日を過ごしていた。婦人服ブティックでベビーシッターを兼務する店番アルバイトをし、オーナー所有のフォルクスワーゲン ゴルフのカブリオレを借りては友達数名と街へと繰り出す。1982〜’83年の話だ。制服のない学校だったので、好きなものを着られるという自由を満喫しつつも、格好で如実に優劣がつくという厳しさも味わった。常にお互い、ドレスコードのチェックを受けているような日々だったが、結局それが今の仕事にもつながっていると思う。
当時は、雑誌だと「an・an」や「流行通信」を見ていた。だが、リアルな情報は、セレクトショップやカフェバー、ディスコ、クラブ、ライブハウスからだった。店のスタッフと話すのがいちばん刺激的だった。GQアメリカやTHE FACE、i-Dなどの海外雑誌を知ったのもその頃だ。あるセレクトショップに行くと、フランスのワークウェアをパリの街角で着こなしている人々のスナップがタブロイドで紹介されていた。当時の僕はデザイナーズブランド&ドレス志向だったが、翌日から突然カバーオールやチノパンツ、シャンブレーシャツ一辺倒になった。チノパンと言っても、アメリカのプレッピーやアイビー、アメカジとは一線を画したもの。もっとパーソナルなスタイルだった。パリのスナップ写真は、着る人の個性が色濃く出ている、という点で僕を感動させた。ユニフォームでありながら、チーム的なルールはなく、個性重視。誰に気づかれずとも、自分の美を追求する。それらはパリの歴史ある情緒を育んだ街角を背景にすることで、一段とスタイリッシュなビジュアルになっていた。1989年に初めて行ったクリニャンクールでは、エルメスの古いカレがヴィンテージとして取引されていることに驚いたのだが、売場のスタッフや客の中にも、モールスキンのカバーオールを着ている人たちをよく見かけた。それらの光景が、日常の一部として存在するパリが好きになった。映画『ミッドナイト・イン・パリ』で深夜のパリをさまよった主人公の気持ちがよくわかる。「ル サン パレイユ」のモールスキンのカバーオールを着ながら、そんな懐かしい時代が甦った。
下の写真で紹介している〈パトリック〉のスニーカーとの出会いは、中学時代まで遡る。おしゃれでイケメンなサッカー部の顧問が履いていた。僕は野球部だったが、その顧問が履いていたパトリックに目がくぎづけ。みんな、アディダスかプーマかオニツカタイガーしか履いてなかった時代である。顧問のパトリックは、色使いも素材感も圧倒的にスタイリッシュだった。僕は一人でそれに注目し、密かに憧れた。思えばパトリックもまた、1800年代終わりに、フランスのパトリック・ベネトゥによって生み出されたサッカーシューズに端を発している。ここでもまた、フランスの「粋」にうならされた。
Illustration:Sara Guindon
Photos:Hisashi Ogawa