フーディにデニム、Tシャツにスニーカー。カジュアルなアイテムで過ごすリモートな春だ。人と会う機会も少なくて無頓着になりがちだが、50代なりにE-boyな着こなしを楽しみたい。フーディを着たら、首元にはストールを巻く。デニムは裾を短めにしてズルズルとははかない。スニーカーはデザインの激しいものは避ける。あれこれ考えて、大人のE-boyを目指す。
今季のセリーヌは、ディレクターのエディ・スリマンがTikTokカルチャーから刺激を受け、前シーズンとはまったく違うE-boyスタイルを発表した。テーマはダンシングキッド。「E-boyって何だ?」なおじさんに出る幕はないと思いきや、コレクション内容は懐かしいアイテムとコーディネートのオンパレード。ダンシングは無理だけど親近感が湧いたので、おじさんなりの考察を加えながら試すことにした。
セリーヌ表参道店のメンズフロアは、広々とした空間で気分が上がる。試着室の中には大きな鏡があるが、フロアに出て鏡に映る全身を眺めるのが気持ちいい。贅沢だ。
まず最初に試着したのは、「ARE YOU FUCKING KIDDING ME?」のロゴに惹かれたフーディ。Lサイズをゆったりとしたシルエットで着ようとイメージしていたが、元のデザインがルーズなので結局Mを購入。「THE DANCING KID」のロゴTシャツも、Sが通常のMとLの間くらいのサイジングなのでSにした。すべての文字が踊っているかのようなデザインが好き。白のほかに黄色ベースもあったが、今後、タイダイベースのボディにCELINEロゴが入ったタイプが入荷予定と聞いて、そっちが欲しくなった。そのため今回は白Tのみで我慢。
ブリーチデニムに関しては、わが人生において、思い出深いことが二つある。最初は9歳の頃。ある日、5歳年上の兄が新品のジーンズをはいたまま家の檜風呂に飛び込んだ。柄付きのたわしでデニムをこすりだすと「トモキ、台所から漂白剤持ってこい!」と僕を呼んだ。仕上がったデニムは兄のイメージどおりだったかは不明だが、ブリーチ感が半端なかった。僕は生まれて初めて見たハゲハゲジーンズの強烈さにドン引き。同時に檜風呂に残った漂白剤の鼻を突く臭いとデニムから落ちた藍が檜に染み込んでいく光景を前にして、嫌な予感しかしなかった。その夜、兄は父にこっぴどく叱られた。予感的中。風呂好きの父の怒りはK点越えだったが、当時赤毛で眉を細くしていた兄は屁とも思ってない様子。その温度差が印象的だった。次は高校2年生の秋のこと。親友がパンクファッションに目覚め、学校に自家製のブリーチデニム(おそらく漂白剤仕様)をはいてきた。引きずるくらい大きな古着のトレンチにモヒカンヘアで。彼は授業をさぼって廊下を歩いていた。僕はその姿を教室から眺めて、彼の自由奔放な雰囲気に惹かれた。1981年頃のことだった。
以降、それまでのブリーチデニムとは違う“ケミカルジーンズ”と呼ばれる色落ちデニムが騒がれた時代もあったが、僕はそれには一切興味がなかった。今回セリーヌが出したタイプは懐かしのオーガニックな色落ちがいい。セリーヌの店内で僕は昔の思い出に浸っていた。そして、心の中で若き日の自分と対話していた。僕にこの新しい色落ちデニムを買わせたのは、40年前の自分であった。が、一晩明けるとおじさんは冷静さを取り戻す。さて、このブリーチ君はいつ? どこで? 誰が? はくの???
これを機にダンスを習いに行って遅咲きのDANCING KIDになるのも一案かもしれない。コロナでいろいろな制限がある今こそが、未挑戦の分野にトライするチャンスだとも言える。僕は1月に56歳になったけど、“遅咲きの何か”になるために、新しいことにチャレンジしてみたいな〜。
Illustration:Sara Guindon
Photos:Hisashi Ogawa