第3回|『葬送のフリーレン』に学ぶ〈遊び心〉ある暮らしの秘訣
コペンハーゲンIT大学のミゲル・シカールは、ゲーム・スタディーズを牽引する研究者。今回取り上げた〈遊び心〉についての議論は、『プレイ・マターズ 遊び心の哲学』(フィルムアート社)の一部にあたる。ゲーム研究の一冊目には、小林信重編『デジタルゲーム研究入門』(ミネルヴァ書房)がおすすめ。
アニメ化でますます人気の『葬送のフリーレン』。魔法使いのフリーレンは、各地を旅しながらいろいろな魔法を収集する。彼女が仕事の対価として受け取るのはごく他愛ない魔法だ。温かいお茶が出てくる魔法、銅像の錆をきれいに取る魔法、早口言葉を嚙まずに言えるようになる魔法、パンケーキを上手にひっくり返す魔法——。玩具や便利グッズみたいなものを彼女は好んで集める。知人は「100円ショップに売っていそうな魔法だ」と語っていた。
変な魔法ばかり集めている理由を仲間に問われたとき、フリーレンは「ただの趣味だよ」と答えている。その返事に釈然としない顔をされたとき、「本当にただの趣味だよ」と彼女は繰り返した。「前はもっと無気力にだらだらと生きていたんだけどね」。
魔法使いは一種の職業であり、魔法の収集はその仕事の一環である。ここからわかるように、魔法使いにとって魔法はまじめに使われるべきものだ。もちろん、フリーレンにとっても魔法は、追いかけっこやゲームのような「遊び」とは異なる種類の活動だろう。しかし、彼女は魔法と「遊びのように」付き合っている。
フリーレンは、遊びとは言えない魔法に、遊び的なかかわり方をしている。これは、ゲーム研究者であるミゲル・シカールの言葉でいえば、〈遊び心〉に相当する。彼は「遊び(play)」と「遊び心(playfulness)」を区別した。
「遊び」が特定の活動ジャンルを指すのに対して、〈遊び心〉は、「遊びの文脈の外側で遊びを使う」姿勢、つまり、遊びとは言えない活動を遊びとして構造化する姿勢を指している。
〈遊び心〉は、まじめで合理的な目的をもつ行為を乗っ取って、感情に訴える心地よい体験をつくろうとする。企画提案用のPowerPoint制作は遊びではないが、〈遊び心〉を発揮すれば、企画資料を見ていて楽しい表現に変えることもできる。〈遊び心〉は、「ここではこうするものだ」という先入観を取り払い、同じ活動に新たな意味や文脈を与えられるのだ。〈遊び心〉がなくても仕事は回るが、それがあることで「こういうものだ」という決まりきったとらえ方から自由になり、世界をどのように体験するかという文脈や意味を再構築することができる。
そう考えると、フリーレンがエルフという数千年の寿命をもつ種族だという設定は示唆的だ。大半のエルフは、何かに夢中になるような感情の起伏や意欲を感じないとされている。しかし彼女は、他愛ない魔法やちょっとした変化を積極的に楽しむ〈遊び心〉を働かせ、ユーモアのある日々をのんびり送る。私たちはエルフではないが、人生という気の遠くなる時間を楽しく生きる秘訣を、フリーレンの〈遊び心〉に学ぶことができる。
哲学者。京都市立芸術大学美術学部デザイン科で講師を務める。著書に『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』『スマホ時代の哲学』『鶴見俊輔の言葉と倫理』など。