2024.04.23
最終更新日:2024.04.23

『呪術廻戦』と言語行為論。七海の「後は頼みます」はただの「依頼」ではない【飲み会で使える! ポピュラー哲学講座 ジョン・オースティン編|谷川嘉浩】

第2回|『呪術廻戦』と言語行為。七海の「後は頼みます」はただの「依頼」ではない

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ジョン・オースティン

ジョン・オースティンは、20世紀イギリスの言語哲学者。哲学、言語学、社会理論などに多大な影響を与えるが、公刊著作は少ない。主著『言語と行為』(講談社)で、手軽に彼の知見に触れることができる。言語行為論などの言語哲学への入門としては、三木那由他『言葉の展望台』(講談社)がおすすめ。

芥見下々『呪術廻戦』(集英社)は、みなさんご存じでしょう。ヒーローたる呪術師が、怪物やヴィランと戦うバトル漫画です。アニメ化で大ヒットし、話題を呼びました。この作品には、七海健人という人物が出てきます。彼は、強敵と戦って死に瀕し、戦闘を離脱するときに「後は頼みます」と言うんです。

 この言葉自体は、ありふれています。学部時代の飲み会で、酔いつぶれた先輩がもたれていた壁から滑り落ちながら、似たことを言っているのを聞いた経験があるくらいなので。でも、この作品ではこの平凡な言葉がひときわ存在感を放っている。なぜでしょうか。ここに哲学するとっかかりがあります。

 ジョン・オースティンという哲学者がいます。彼は、「言語行為(speech act)」という考え方を提唱しました。何かを口にすることは、抽象的な記号を提示する営みじゃない。発言自体が、具体的な働きや効果をもつ行為なんだというのが基本の発想です。この視点に立てば、七海の言語行為の面白さが見えてきます。

「後は頼みます」は、「依頼」の言語行為に見えます。でも、戦闘を離脱する瞬間の発話なので、仲間の返事を聞く間がないこと、仲間が断ったり聞こえないふりをしたりしないことを七海は知っていたはずです。相手は言葉を受け取らざるをえない。こういう選択の余地がないものは、普通「依頼」と呼ばれません。

「ちょっと醬油とって」「ボタンのつけ方教えて」みたいに、断ることが可能な対等性が、依頼では前提されています。それに対して、七海の「後は頼みます」は否応なしで、相手の返事を聞くつもりもない。それを自覚していたからこそ、発言の直前に七海も心中で迷いを見せています。「言ってはいけない それは彼にとって “呪い”になる」。

 自分の思いを仲間に託すのは、希望をつなぐことです。でも、その意図が選択の余地なく聞き届けられる状況で言うなら、その人を自分の願いに縛りつける行為でもあります。私たちは、時に依頼の形を借りて要求をしているわけです。このことを七海は自覚し、その重さを知っていたから迷いを見せていたのです。それにもかかわらず、七海が結局「後は頼みます」と口にしたのはなぜでしょうか。

 おそらく、人は自分の一部を誰かに託さずには生きていけないからです。人が生きる中で、自分の歩いた足跡を、その思いを誰かへとつながずにはいられない。そうでなくては、自分の人生を意味づけられない。たぶん、人間には希望と呪いの区別が究極的にはつけられない。その二つは、言語行為として区別しづらい。だから、私たちは希望を託し合い、呪い合いながらともに生きているのだとさえ言えます。

谷川嘉浩

哲学者。京都市立芸術大学美術学部デザイン科講師。著書に『スマホ時代の哲学』『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』など。最新刊は『人生のレールを外れる衝動の見つけ方』。

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