第13回|「言い方」の違いが生み出す凄惨な暴力

1986年にピッツバーグ大学で博士号を取得した言語哲学者で、コネチカット大学などの教授を務める。今回扱った論文「Genocidal Language Games」は専門的な内容なので、代わりに偏見や対立を増すような「言葉の風景」を分析した日本語の別の書籍、和泉悠『悪い言語哲学入門』(筑摩書房)、三木那由他『言葉の道具箱』(講談社)をすすめておきたい。
不適切な表現を「言い方は悪かったけど、悪気はないんだし」と弁解する場面は珍しくない。哲学でもそうだ。古代ギリシアのプラトンが、言い方にこだわる「ソフィスト」から区別して、本質を洞察する「フィロソファー」だと自分たちを位置づけて以来、哲学は、表現や言い方を一段下に見てきた。
だが、どういう言葉を使うかが、思考の筋道に直接的な影響を及ぼしているため、言い方の影響力は本当に大きい。かなり極端な例だが、ある人を「虫けら」などと侮蔑的に表現したらどうだろうか。その途端、その後の推論や行動はけっして明るくない方向に限られてしまう。…だが、これは架空の話ではない。1994年にルワンダ内戦が勃発する前から、虐殺された〈ツチ〉の人々は「ゴキブリ」や「ヘビ」に相当する言葉で呼ばれていた。
アメリカの言語哲学者リン・ティレルは、論文「虐殺の言語ゲーム」でルワンダ内戦を分析しながら、社会の中の「言葉の風景」がどう変化することで大量虐殺につながったのかを論じた。ティレルは、残酷行為を生み出す「言い方」の特徴を5つ挙げた。少し難しいかもしれないが、列挙してみよう。①〈私たち〉と〈あいつら〉は違うと明確にする。②その違いを「本質」、つまり生来の変更不可能な性質で説明する。③その社会で馴染みある規範に関係している。④権力行使の正当化などの働きもある。⑤暴力的行動を喚起する。
「あいつらはゴキブリだ」。この表現を選んだ途端、ゴキブリに関する規範と絡まりあって、〈ツチ〉を「こそこそと動き回る、不衛生で劣った駆除すべき存在」とみなすことになる。こうなると、危険な発想に転ぶのも時間の問題。「あいつらは生まれつき劣っている」「人間扱いしなくていい」「のさばらせるな」…。
この思考は明らかにまずいと、後世の私たちは冷静に評価できる。しかし当時のルワンダでは、この侮蔑表現が馴染みあるものだった。自分が生まれる以前からある言葉遣いは、空気のように当たり前なので、あらたまって疑問視し、相対化することは難しい。そしてそういう言い方が、推計で死者が80万〜100万人に及ぶ組織的な虐殺の一要因だったのである。
もちろん、あらゆる言い方が深刻な帰結をもたらすわけではないが、それでも、どんな言い方で隣人を表現するかは、些末な問題ではない。今日、アメリカ政府は性別の「公式見解」を発表し、副大統領は講演で大学教員を「敵」と呼んで支持者の喝采を浴びている。隣人の語り方が、政治家に取り締まられる時代だからこそ、いま立ち止まって「言い方」のことを考えたい。
哲学者。京都市立芸術大学美術学部デザイン科で講師を務める。著書に『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』『スマホ時代の哲学』『鶴見俊輔の言葉と倫理』など。