2025.01.02
最終更新日:2025.01.02

【飲み会で使える! ポピュラー哲学講座 谷川嘉浩】そもそも、自分の経験や感覚を表現できる「言葉」がなかったら…【ミランダ・フリッカー】

第10回|そもそも、自分の経験や感覚を表現できる「言葉」がなかったら…

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ミランダ・フリッカー

1966年にイギリスで生まれた哲学者で、現在はニューヨーク大学に勤務。今回扱った、『認識的不正義』(勁草書房)は翻訳で読むことができる。彼女の「認識的不正議」論を参照している一般書として、佐藤邦政『善い学びとはなにか』(新曜社)や、『未来世界を哲学する』(丸善出版)シリーズ5巻「ジェンダーとLGBTQの哲学」の佐藤論文をすすめたい。

 ノーベル文学賞作家のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチには、第二次世界大戦に従軍したソ連の女性たちの体験を聞き書きした『戦争は女の顔をしていない』という本がある。軍隊や戦争が男のものとして、男の言葉で語られるとき、女性がいなかったことにされる。兵站や看護だけでなく、前線に立つ戦闘員としても多数参加し、80万から100万人の女性が戦場に向かったとされるのだが。

 聞き取りが行われたのは、当事者の記憶も曖昧になるほど時間がたってからだった(原書は1985年出版)。それでも男性(夫)の前では口をつぐむ場面、言葉が形にならずに凍りつく場面が数多く出てくる。その沈黙的な雰囲気は、KADOKAWAのコミカライズ版でも感じられる。

 自分の経験の重要な領域を理解することを不当に妨げられ、そのせいで自己理解の重要な部分が失われることを、哲学者のミランダ・フリッカーは「解釈的不正義」と呼んだ。自分の経験や感覚を表現するにふさわしい言葉(=解釈資源)が社会になかったり、当事者が解釈資源にアクセスできなかったりする社会状況にあるということである。その意味で『戦争は女の顔をしていない』は、まさに解釈的不正義を炙り出すような本だったと言える。

 上流階級の政治的に保守的な女性が書き留めた、小さな変化にフリッカーは注目した。出産後にうつ病で苦しんでいたとき、彼女は同じく政治的に保守的な友人に誘われて大学のイベントに参加した。そこでは、女性たちがさまざまなテーマを小グループに分かれて対話していた。彼女が参加したグループでは「産後うつ」について話していた。

 対話の感想を、彼女はこう表現している。「そのたった一回の45分の話し合いだけで、私はこれまで自分を責めてきたことや、夫が私を責めていたことが自分自身の欠陥のせいではないのだと自覚しました。それは生理的なことと、実社会で生じていること、すなわち孤立とが組み合わさったことが原因なのでした。このような自覚に至ることは、人々をこれから先ずっとフェミニストにする契機の一つだったのです」。

 フリッカーは、「セクシュアルハラスメント」という言葉が普及する以前に女性が抱えていた違和感や不快さの中にも「解釈的不正義」があると指摘している。マイノリティが新たな語彙を膨大につくらざるをえない背景には、解釈的不正義がある(人種やジェンダーなどのトピックに関連して、当事者でも知らないほど多くの言葉が発明されている)。社会が解釈資源を流通させていないのだから、新たに生み出さざるをえないのだ。

谷川嘉浩

哲学者。京都市立芸術大学美術学部デザイン科で講師を務める。著書に『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』『スマホ時代の哲学』『鶴見俊輔の言葉と倫理』など。

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