2024.06.10
最終更新日:2024.06.10

「心」を使って推理する、探偵ポアロと精神分析の意外な関係性【飲み会で使える! ポピュラー哲学講座 ジークムント・フロイト編|谷川嘉浩】

第4回|「心」を使って推理する。探偵ポアロと精神分析の意外な関係性

ジークムント・フロイトプロフィール画像
ジークムント・フロイト

ジークムント・フロイトは、心理学者、精神科医で、精神分析学の創始者。『日常生活の精神病理』(岩波文庫)などは読みやすいが、藤山直樹『集中講義・精神分析』(岩崎学術出版社)などから入門するほうがいいかも。渡英前のフロイトが登場する、ゼーターラーの小説『キオスク』(東宣出版)もオススメ。

アガサ・クリスティ。「ミステリの女王」とあだ名され、探偵小説の黄金期に数々の名探偵を生み出したイギリスの名作家。彼女のつくった有名なキャラクター、エルキュール・ポアロが最近注目を集めている。ケネス・ブラナーが主演・監督を務め、ポアロものを3作品立て続けに映画化しているのだ。

 ポアロは、地道な物証集めよりも、会話を通して関係者の心を推理することを好む。だからこそ、彼の発言には独特の「心理学」が見いだせる。名作『ABC殺人事件』には、「自分が知っているということに気づかないで何かを知っているはずだ」と事件関係者に話しかけるシーンがある。それについてポアロと話し合えば、「いまはまだ想像もできない意味」が生まれるだろう、と。

 ここで思い出されるのは、精神分析学の始祖、ジークムント・フロイトの「意識」と「無意識」の区別だ。『ABC〜』の出版は1936年。この頃、フロイトはすでに国際的名声を得ていたし、イギリスでは、アンナ・フロイトとメラニー・クラインが精神分析家として活動していた。つまり、クリスティが『ABC〜』を書く頃には、精神分析学はある程度知られていた。だから、ポアロとフロイトが似ているのは、クリスティが精神分析学を取り入れたからだと推測できる。

「無意識」には、意識が理解し損なうノイズを拾う作用があるとフロイトは考えた。そして、精神分析家は、神経症患者の意識がノイズとして排除し、気づこうとしていない事柄を、対話を通して浮かび上がらせていく。それによって神経症の治療が進むとされたのだ。

 精神分析学のこうした見解は、ポアロの推理法ときれいに重なる。優れた探偵は、対話を通じて、事件関係者が「気づかないで知っていること」(=無意識の拾った情報)を意識の領域へ引きずり出せるとポアロは考えていた。そして、無意識が拾った情報を意識の領域に浮上させることができれば、事件は解決へと進む。

 要するに、精神分析家と探偵は、どちらも「無意識の情報」を感知し、それを分析する役割を担っているということになる。取り組む作業が、心の治療なのか、謎の解決なのかという違いはあるが、心も事件も、謎や神秘に満ちていて、ある種の解決や回復を必要としているのに変わりはない。

 国内外のドラマを観ていても、何気ない会話に推理のヒントを見つけたり、ちょっとした振る舞いに心の謎を解く手がかりを見つけたりするミステリは珍しくない。たとえ作り手が気づいていなかったとしても、こういう作品は、フロイトからクリスティへと続く、無意識と対話を駆使する「探偵=精神分析家」の系譜に位置しているのだ。

谷川嘉浩

哲学者。京都市立芸術大学美術学部デザイン科で講師を務める。著書に『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』『スマホ時代の哲学』『鶴見俊輔の言葉と倫理』など。

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