「ヒップホップとは」を長谷川町蔵さんが初心者にもわかりやすく解説する。
『INSANO』キッド・カディ
キッド・カディ 鼻歌の救世主
現在のヒップホップ・シーンに最も影響を及ぼしたラッパーは誰? そんなクイズを出したとしたらいろんな答えが寄せられるとは思うけれど、もしかするとその正解はキッド・カディなのではないだろうか。
いま主流の、マイナー調メロディを鼻歌で歌ったようなラップ。あれを最初にやったのはカディ’08年の出世曲「Day 'N' Nite」である。リリックは「孤独に耐えきれずにマリファナを吸ってしまう」という、当時の強面ラッパーたちが絶対思いつかないような繊細な内容。その革新性をいち早く認め、彼のスタイルを丸ごと取り入れたのが、あのカニエ・ウェストで、さらにそれをパクったのが今をときめくドレイクだった。カディ発のこうしたスタイルは米南部にも伝播する。それまで南部は煽りまくる熱いラップが主流だったのに、鬱々としたエモい鼻歌ラップがのるスタイルへと変化したのだ。こうした変化の牽引役となったラップスターのトラヴィス・スコットは、自身の芸名をカディの本名であるスコット・メスカディから名づけたという。
そんなカディの最新アルバム『INSANO』にはそのトラヴィスをはじめ、リル・ウェイン、ヤング・サグ、リル・ヨッティといった南部のVIPたちが馳せ参じているばかりかルイ・ヴィトンの仕事で多忙なファレル・ウィリアムスまで参加しているのだから驚いてしまう。ぶっちゃけゲストたちのほうが売れっ子。いかにカディがリスペクトされているかの証しだろう。
もっともそんな豪華ゲストたちが集結しながらも本作、全体的に飄々としていて商売っ気は感じない。もともとの金に固執しない性格に加えて、半自伝アニメという意味では『君たちはどう生きるか』よりも早かった『エンターギャラクティック』やアートホラー『X エックス』といった映画のプロデューサー兼俳優としての仕事で成功を収めているからだろう。本人もインタビューで「幼稚園を経営したい」とかセカンド・キャリアを語っているし。でも「性格なんて暗くていいんだ。心なんて弱くていいんだ」と語りかける彼の鼻歌は、これからも迷えるリスナーの魂を救い続けるに違いない。
文筆家。とてもわかりやすいと巷で評判の、大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門1〜3』(アルテスパブリッシング)が絶賛発売中。