2024.09.21

『The Death of Slim Shady』エミネム|ラップ・ゴッドは娘・命!【超初心者のためのHIPHOP STARTUP|長谷川町蔵】

「ヒップホップとは」を長谷川町蔵さんが初心者にもわかりやすく解説する。

『The Death of Slim Shady』エミネム

『The Death of Slim Shady』エミネム
UNIVERSAL MUSIC JAPAN

エミネム ラップ・ゴッドは娘・命!

 基本的には黒人音楽であるヒップホップの世界において、炎上大歓迎の毒舌キャラ「スリム・シェイディ(痩せた不審者)」を演じながら、1999年のメジャーデビュー以来シーンのトップに立ち続けている白人ラッパー、エミネム。それを実現できたのも彼が誰よりもリリック作りに精魂を込め続けてきたからにほかならない。そんな「ラップ・ゴッド(自称)」が同じくらい真剣に取り組んでいたのが子育てだった。

 まだエミネムがバイト生活に明け暮れていた’95年に、高校時代のガールフレンド、キムとの間に生まれた娘ヘイリー・ジェイド・スコットは彼にとってのミューズであり続けてきた。’97年発表の「Bonnie & Clyde」では、(曲中で殺した設定の)キムの遺体を処分するためのドライブに出かける相棒としてヘイリーが登場。2002年の「Hailie’s Song」ではキムとの泥沼の離婚調停の結果、親権を獲得したエミネムの喜びが語られる。’05年の「When I’m Gone」では愛娘を置いて長期のツアーに出なければいけない苦しみを切々とラップ。’10年の「You’re Never Over」では、薬物中毒から抜け出せず自殺を決意したエミネムの前に、死んだはずの親友プルーフが現れて「ヘイリーのことを考えろ!」と説教される。ヘイリーの写真に「いい女だな」とコメントをつけたラッパー、マシン・ガン・ケリーは、怒り狂ったエミネムのディスによって再起不能に陥り、ロック転向を余儀なくされた。

 そんなヘイリーは大学を優秀な成績で卒業して、7年間交際したボーイフレンドとこのたび結婚。娘を送り出したエミネムは、最新作『The Death of Slim Shady (Coup de Grâce)』収録の「Temporary」において、自分がすでにこの世を去っている設定で「俺はおまえを守護天使として守り続ける。別れはつらいけど一時的なもの。だって俺たちの愛は永遠だから」と静かにラップしている。本作でエミネムはスリム・シェイディの封印を示唆している。もしかしたらラップ史に残る毒舌家スリム・シェイディとは、気弱な白人男が娘を何とか一人前に育てあげるために創りだした虚像だったのかもしれない。

長谷川町蔵

文筆家。とてもわかりやすいと巷で評判の、大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門1〜3』(アルテスパブリッシング)が絶賛発売中。

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