2024.07.20

『Might Delete Later』J・コール|いい人すぎる「ビッグ3」の一角【超初心者のためのHIPHOP STARTUP|長谷川町蔵】

「ヒップホップとは」を長谷川町蔵さんが初心者にもわかりやすく解説する。

『Might Delete Later』J・コール

『Might Delete Later』J・コール

J・コール いい人すぎる「ビッグ3」の一角

「高い芸術性をもちながら、売れまくっている現役ラッパーといえば誰?」

 そんな質問をされたら大抵のラップファンは「ケンドリック・ラマー」と答えるだろうけど、ちょっと通なら「同じくらいJ・コールもいいんだよねー」とつけ加えるはず。彼は、優れた作詞能力と自らトラックも作る音楽的才能によって、多くのラッパーから尊敬されているスーパースター。収入の大半を貧困家庭の子どもを助ける事業に注ぎ込む誠実な人柄でも知られている。

 そんなコールとケンドリックのビーフがこの3月に勃発した。きっかけはドレイクとコールの共演曲「First Person Shooter」でコールが「誰がヤバいって? ケンドリック? ドレイク? それとも俺?」とラップしたこと。これに対してフューチャーとメトロ・ブーミンの楽曲「Like That」に客演したケンドリックが「ビッグなのは俺だけ」と挑発したのだ。念のため言っておくと二人は共演経験もある友人同士である。ケンドリックは「ラッパーたる者、自分がナンバーワンと信じてマイクを握るべし」という黎明期から続くヒップホップの教義にのっとって戦いを挑んだだけなのだ。

 これに対してコールはわずか10日後にリリースしたアルバム『Might Delete Later』に収録された「7 Minute Drill」で「おまえのファーストとサード作は傑作だったけど、セカンドと最新作は最悪」と返答。あれっ、アルバムを2枚も褒めてしまったらディスになっていないのでは? そう、友人相手でもけんか屋を演じられるケンドリックと違って、コールはいい人すぎるのだ。

 案の定、アルバム発表の2日後に行われたライブで、彼は「あんな悪口曲は出さなければよかった。この2日間はひどい気分で寝ていない」と弱音を吐き、その5日後には『Might Delete Later(後で消すかもしれない)』というアルバム名どおり、楽曲をストリーミングサービスから削除してしまったのだ。かくしてラップ史上最高のバトルになるかと思われたビーフは、片方が真面目すぎるがゆえに、あっけない幕切れで終わってしまったのだった。それもまたJ・コールらしいと言えるわけだけど。

長谷川町蔵

文筆家。とてもわかりやすいと巷で評判の、大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門1〜3』(アルテスパブリッシング)が絶賛発売中。

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