「ヒップホップとは」を長谷川町蔵さんが初心者にもわかりやすく解説する連載の第11回目。今回は、今年で誕生50周年を迎えたヒップホップの生みの親、クール・ハークについて。
今回のアーティスト&作品
『BONGO ROCK』
インクレディブル・ボンゴ・バンド
UNIVERSAL MUSIC
音楽ジャンルとは本来、どこからともなく原型らしきものが現れ、さまざまな人によってスタイルが完成する自然発生的なものである。だからジャズにもロックにも「いつどこで誰が生みだしたか」についてさまざまな説が存在する。ところがヒップホップの場合、それがハッキリとしているのだ。ヒップホップは1973年8月11日にニューヨーク市サウス・ブロンクスのセジウィック通り公団住宅の娯楽室で誕生した。つまり今年50周年を迎えたことになる。発明者は当時18歳だったクライブ・キャンベルという少年だ。
ジャマイカ生まれのクライブは12歳のときに両親に連れられて治安最悪だったサウス・ブロンクスへとやってきた。身を守るために筋トレに励んでマッチョになったことで友人から「クール・ハーク」(ハークはヘラクレスのこと)と呼ばれるようになった彼は、機械メーカーで働く父の影響でオーディオに興味をもち、家のスピーカーをジャマイカのサウンドシステム(屋外ディスコ)のような重低音仕様に勝手に改造。それを方々に運んでパーティDJをするようになった。そこで彼はドラムブレイク(曲の途中でドラムだけになるパート)にダンサーが異常に反応することに注目、あるアイデアを思いつく。「ブレイク部分だけ流したら滅茶苦茶ウケるはず!」。
そんなとき、妹のシンディが高校の新学期に着ていく服を買う金が欲しいと嘆いた。ハークは洋服代を捻出するために、女子25セント、男子50セントの入場料を取って新学期パーティを開催した。やってきた子どもたちは、ハークが流す音楽に仰天した。信じられないような重低音で、ドラムだけが延々と流れるのだ。やがて娯楽室は狂熱の祝祭空間と化した。この瞬間、ヒップホップが誕生したのだ。この日をきっかけにサウスブロンクスのナンバーワンDJとなったハークが当時とっておきのブレイクとしてかけたインクレディブル・ボンゴ・バンドの「アパッチ」は、これまで700曲以上のラップ曲でサンプリングされ、現在「ヒップホップ・ネイションの国歌」とされている。
長谷川町蔵
文筆家。とてもわかりやすいと巷で評判の、大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門1〜3』(アルテスパブリッシング)が絶賛発売中。