「もし、あのとき別の道を進んでいたら…」そう思わずにはいられない!? 不思議な一夜の物語の中に散りばめられたリアルな男女の言葉に心揺さぶられる人も多いはず。なぜかもう一度観たくなってしまう、そんな最新作を取り上げます。
昔の恋の“思い出たち”が深夜のホテルに大集合!?
ーー前回に続きまして今回も新作映画を取り上げます。フランスの作品『今宵、212号室で』です。いかがでした?
高橋芳朗(以下、高橋):いやー、まずはやっぱりフランスの不貞行為への寛容さに驚かされるよね。ヒロインに「ただの火遊びなんだから深刻にならないで!」なんてセリフもあったけど、日本でこれはありえない(笑)。
ジェーン・スー(以下、スー):フィクションとは言え、浮気に対する態度があまりに違うんでびっくりしたよね。かかわった人たち誰一人、責任だ裁判だ賠償だとは言いださないんだもの。そう言えばマクロン大統領は略奪婚だし、サルコジ元大統領もオランド元大統領もミッテラン元大統領にも不倫の話題はあったけど、それが理由では失脚していない。1975年以降、フランスでは不倫は法律の処罰の対象外になっているって話もどこかで読んで驚いたわ。
高橋:ただ、不貞行為自体はもちろんよろしくないことなんだけど、この映画がめちゃくちゃおもしろかったのもまた事実で。
スー:ひとまず、不貞行為の善悪を問う視点からは自由になったほうが気付けることが多い作品かも。
高橋:そうだね、とにかくプロットが秀逸。主人公が歴代の恋人たちと向き合うお話という触れ込みだったから『ハイ・フィデリティ』(2000年)のファンタジーバージョンみたいなものをイメージしていたんだけど、これはもっと演劇的かつ内省的。この連載、ここ2回ほど頭抱えちゃうようなのが続いていたけどまあ今回も食らった食らった(苦笑)。
スー:ファンタジックな作品だったけど、芯食ってたね(笑)。前回の『31年目の夫婦げんか』(2012年)に続き、ヨシくん悶絶回になりそうで楽しみ! では、今回は私があらすじを紹介します。「司法・訴訟史を専門とする大学教員のマリア(キアラ・マストロヤンニ)は、結婚して20年になる夫リシャール(バンジャマン・ビオレ)とパリのアパルトマンでふたり暮らし。“家族”になってしまった夫には内緒で、マリアは浮気を重ねていたが、ある日リシャールにバレてしまう。リシャールと距離を置くため、マリアは一晩だけアパルトマンの真向かいにあるホテルの212号室へ。そしてマリアが窓越しに夫の様子を眺めていると、なんと20年前の姿をしたリシャール(ヴァンサン・ラコスト)が現れた! そしてリシャールの初恋相手やマリアの数々の元カレたちも登場し、不思議な一夜が幕を開けたが…」というお話ですね。ヨシくんはどの辺が刺さった?
「私、バカみたい。勘違いしてた…もう一度やり直せると思ってた。愚かだわ。とっくに過去の女になってたのに」ーーイレーヌ
高橋:リシャールの初恋相手のピアノ教師、イレーヌ(カミーユ・コッタン)のエピソードがいちいち悲しかった。こないだ取り上げた『31年目の夫婦げんか』もそうだったけど、夫婦の一方がちゃんと愛されてるんだよな。
スー:リシャールのマリアへの愛はゆるぎなかったものね。浮気をしても愛され続ける女と、別れたあとは過去になる女の違いってなんなんだろう?
高橋:イレーヌは14歳のリシャールに一目惚れされて彼が22歳になるまで交際していたわけだけど、かつてのリシャールとの蜜月を振り返って「最初は金持ちの汚れた子どもだった。私が全身を洗って、ブルジョアの垢を流し落としてリシャールを磨き上げた」とドヤっていたでしょ? そういう「リシャールはワシが育てた!」的な傲慢さが透けて見えちゃったのかもしれないね。いずれにせよ、本当はリシャールを愛していたのにマリアとの結婚を決めた彼を突き放したイレーヌは基本的にプライドがめちゃくちゃ高い。リシャールと再会したときも確実に自分になびくって確信していたしさ。
スー:そのあといろいろと不思議なことが起こるけど、こんな事態になっても自分の気持ちをまっすぐマリアに伝えないリシャールにヤキモキしたわ。リシャールは、いまなにをどう思っているかを口にするのがすごく苦手な男性。しゃべってはいるけれど、悲しいのか怒っているのか傷付いているのかも言葉にしない。マリアの浮気を正当化する理由にはならないけど、マリアはリシャールとの愛は消えたと思っていたのよね。だけど…。
「今の愛に意味はない。愛は思い出の上に築かれる。愛とはともに選んだ場所で、常に“過去”だよ。過去こそが愛に自信を与えているんだ」ーーリシャール
高橋:照れくさいのか、それとも単に面倒くさいのか…まあ、「言わなくてもわかるでしょ?」ってことなんだろうけど。
スー:ていうか自分でもわかってないんじゃない? 自分がいま悲しいのか、寂しいのか、傷付いてるのかすら。言葉にも行動にも示されない、頭の中にぼんやりあるだけのものなんて、相手にとっては「無」と同じなのにね。
高橋:ぐうの音も出ない…それは多くの男性に感じること?
スー:何度も思ったことがありますね。
高橋:最初、お付き合いするときには誰もがこれでもかってぐらいに思いを伝えているはずなんだけどね。
スー:そうそう、だからマリアは若い男ばっかりと浮気するのよ。若い身体が好きなんじゃなくて、自分に向けられる強いパッションの中毒。一方、リシャールは…。そう言えばイレーヌがマリアに「(リシャールは)愛し合ってるつもりよ、自己満足的だけど」って言うシーンもあったね。「自己中心的」ってところにマリアがめちゃくちゃ反応してた(笑)。
高橋:マリアがリシャールに「ピアノを弾かなくなったね」って話していたのは愛を語らなくなったことのメタファーなのかもね。うーん、気持ちを伝えることがセックスとセットになっちゃってるのかな…そんなことないか。
「私たち兄弟みたいだし、あなただって浮気を楽しむこともあるでしょ? 結婚して20年よ。多少の火遊びがないわけない。“2+2は4”くらい自然なの」ーーマリア
高橋:マリアは浮気が発覚したときリシャールに「私たち兄妹みたいでしょ?」って皮肉っぽく言ってたもんね。若きリシャールの「性生活は隠し事のうちのひとつになった。互いを知ることをやめてしまって、そして惨事が起きたんだ。少しずつ、そして突然に」って台詞も印象的だった。
スー:うん。「兄弟みたい」ってことは、セックスレスだったってことだもんね。一方、現在のリシャールは「長く結婚を続けるには努力が必要」だとか、「愛は思い出の上に築かれる」なんて、ありきたりなことを言うのよね。マリアのことは、ありきたり以上に愛しているのに。見ててつらかったわ。
高橋:結婚してないイレーヌが夫婦生活に求められるものとして「誠実さとユーモア、欲望と共有」を挙げていたけど、そっちのほうがよっぽど含蓄があったな。もうリシャールはがんじがらめになっちゃってる。マリアに「あなただって浮気を楽しむことがあるでしょ?」って言われたときにムキになって「俺は25年間浮気していない!」と豪語していたけど、その一途なものをなぜ彼女に向けられなかったのか。
スー:思ったことをポンポン言う若い頃のリシャールとは別人よね。
高橋:スーさんはマリアに共感できる部分ってあった?
スー:あそこまで大胆に道を外すのはどうかと思うけど、中年女の気持ちとしてはわからなくもない、という感じかな。まずは、容姿ふくめ自分の感性がぼんやりしていくことに対する恐れ。女としてパートナーから必要とされていないのではという疑念。ふたりの関係が成熟していくことが、自分が鈍化していくのと同義に思える不安。静かで平和だけど、リシャールとの関係は息が詰まりそうなんだと思う。だってマリアが外注している行為って、リシャールとは味わえないスリルやパッション、つまり換気みたいなことばかりだもの。
『今宵、212号室で』
監督・脚本:クリストフ・オノレ出演:キアラ・マストロヤンニ、ヴァンサン・ラコスト、カミーユ・コッタン、バンジャマン・ビオレ、キャロル・ブーケ
製作:フランス、ルクセンブルク、ベルギー
©Les Films Pelleas/Bidibul Productions/Scope Pictures/France 2 Cinema
2020年6月19日(金)より、Bunkamuraル・シネマ、シネマカリテほか全国順次ロードショー
『今宵、212号室で』公式HP