中年男の孤独、アラサー・アラフォー女性の不安…。アル・パチーノとミシェル・ファイファーが奏でる大人の恋の物語を紹介します。
大人の孤独を描くラブロマンスの中に、ラブコメ演出を見る
--今回の作品は、アル・パチーノとミシェル・ファイファー主演の『恋のためらい/フランキーとジョニー』(1991年)です。
ジェーン・スー(以下、スー):この作品、私は初めて観たんだけど…ニューヨークの『101回目のプロポーズ』だ! って思った(笑)。とは言え、典型的なラブコメ映画ではないよね?
高橋芳朗(以下、高橋):そうだね。平たく言うならば、過去に苦い経験を持つ男女が惹かれ合う大人のラブロマンス、といったところかな。ただこの映画、監督を務めているのが『潮風のいたずら』(1987年)や『プリティ・ウーマン』(1990年)、それから『プリティ・プリンセス』(2001年)などでおなじみのラブコメディの名手、ゲイリー・マーシャルなんだよね。しかも、あの『プリティ・ウーマン』の次に撮った作品だったりする。そんな経緯もあって劇中にはラブコメ的演出がふんだんに盛り込まれているし、その筋のファンでもきっと楽しめるんじゃないかということで今回ピックアップしてみた次第。
スー:なるほど、そういう理由があったのね。
高橋:では、まずはあらすじを簡単に。「詐欺罪で服役していたジョニー(アル・パチーノ)は出所後、妻子と別れてマンハッタンのダイナーでコックとして働くことに。やがて彼は、同じ店で働くウエイトレスのフランキー(ミシェル・ファイファー)に心惹かれ始めるが、熱心に彼女をデートに誘っても断られてばかり。実はフランキー、過去のつらい恋愛経験から二度と恋はしないと誓っていたのだった。それでも、フランキーはジョニーと接していくうちに徐々に彼に好意を抱いていく…」というお話。この映画自体は1987年から上演されている戯曲『Frankie and Johnny in the Clair de Lune』を映画用に脚色したものなんだけど、劇中でもたびたび触れられている通り、このフランキーとジョニーの恋物語はアメリカのトラディショナルソングに基づいてる。
「君とテレビを見るのは楽しいし、ずっと友達でいたい。でも本当の人生は外の世界にある、傷つくのを恐れてちゃダメだ」--ティム
スー:確かに。ティム(ネイサン・レイン)の立ち位置なんかは、ここ10年は「都合のいい存在として描かれ過ぎ」と指摘されがちなところだね。良くも悪くも数々のラブコメ的演出ステレオタイプが散りばめられてる。
高橋:具体的にどこがポイントになったのかはわからないけど、この映画のゲイ描写に関してはGLAAD(中傷と闘うゲイ&レズビアン同盟)から「LGBTコミュニティと彼らの生活に影響を与える問題を公正、正確、包括的に表現している」としてメディア賞最優秀作品賞が贈られているみたいだね。ちなみにラブコメ的な演出は他にもまだたくさんあって、たとえばダイナーで倒れた客を手当てしながらジョニーがフランキーをデートに誘うくだりなんかもすごくラブコメっぽい。アル・パチーノの貫禄で稀釈されちゃってるところがあるけど、もっと若い役者が演じていたらわりとオーソドックスなラブコメ映画になるお話だと思うよ。
スー:言われてみれば、その通りだね。ミシェル・ファイファーもそう。このふたりってさ、同じゲイリー・マーシャル監督の『プリティ・ウーマン』の主演候補にも挙がっていたよね? 想像してみるに、これもリチャード・ギアとジュリア・ロバーツが演じていたら、わかりやすくラブコメ映画っぽくなったのかも。ちょっと気になるのはさ、ダイナーで働いてるウエイトレスのコーラとジョニーが最初に関係を持つシーン。あそこはラブコメっぽくないよね。そういうシーンがちょこちょこある。
高橋:コーラはジョニーを自宅に招いて、コトが済んだらさっさと彼を帰らせるでしょ? 「あんたも私もただ寂しくてこんなことをしてるんだ」って。きっと彼女はジョニーが単に寂しさを埋めるためだけに自分に近づいてきたことを見抜いていたんだろうね。このコーラとジョニーのシークエンスのあとにくるダイナー最年長ウエイトレスのヘレン(ゴールディ・マクラフリン)の死を含め、序盤は物語の大きなテーマである「孤独」を強調した構成になってる。このあたりの描写の切実さは、確かに一般的なラブコメ映画では踏み込まないリアリティがあるね。
「今の自分は嫌いなのに、変わろうとするのも怖い。同じ仕事を一生続けるのは嫌だけど、辞める勇気もない。恐れてばかりいることに、もう疲れたの」--フランキー
スー:こんな生活、やめたいけどやめられない。フランキーは変化が怖いのよね。これは、アラサー・アラフォー女性世界共通の不安なのかも。46歳の男性であるジョニーの抱える孤独はどうなんだろう? UOMO読者の世代は気になるんじゃないかな。
高橋:セコい犯罪に手を染めて結果家庭を失ったジョニーとしては、なんとしてでもその忌まわしい過去を払拭したいんだろうね。あとこれはアラフィフ男ならではという感じもするんだけど、「自分の心にはまだ火がともるのだろうか?」と確認しているような節も感じられて。そういう焦燥感と孤独感がないまぜになったような感情がジョニーを突き動かしているんじゃないかな。いずれにしても、彼がフランキーに言っていた「こういうことは滅多に起こらない」というのは真実だよね。それは40歳を越えると本当にそう。そのセリフはめちゃくちゃ説得力あったな。
スー:確かに!身をもって感じるわ(笑)。
高橋:最後に付け加えると、この映画をチャーミングにしているポイントとして「ラジオの魔法」をものすごく甘美に描いているところを挙げておきたいな。リッキー・リー・ジョーンズの「It Must Be Love」しかり、ドビュッシーの「月の光」しかり、フランキーとジョニーの恋模様のここぞという局面を彩っているのはラジオから流れてきた音楽だからね。
『恋のためらい/フランキーとジョニー』
監督:ゲイリー・マーシャル出演:アル・パチーノ、ミシェル・ファイファー、ネイサン・レイン
初公開:1992年1月25日(日本)
製作:アメリカ
Photos:AFLO