ジェーン・スー(以下、スー):観る前はそう思ってました! 実は、映画の前に街の中華料理店でチャーハン食べてたんですよ。そしたらちょうどビートルズの「The Fool On The Hill」が流れてきて。「ああ、コレがない世界ってことか…そりゃすごいな」って。いままで意識したことはなかったけれど、日本のチェーン中華料理店にもしっくり馴染んでくるのがビートルズ。思った以上に生活の一部でした。それがない世界、どんな感じなんだろう…と観に行ったら、期待以上にラブコメ要素が多くて、嬉しいサプライズでしたね。
スー:その通り。音楽映画じゃないから、ビートルズを知らなくても楽しめるんだよね。「存在して当然」だと思っていたビートルズは、主人公のジャックにとって何のメタファーなのか? それが徐々に明らかになっていくところも秀逸。
高橋:繰り返しになるようだけど、そのへんのストーリー運びはまさにリチャード・カーティスの名人芸。これは物語の核心に抵触する部分かもしれないけど、「存在して当然だと思っていた」は恋愛物の王道設定だからね。
スー:「こうきたら、こうなるんでしょ?」って予想を、きれいに裏切ってくれたのも気持ちよかった。ビートルズの曲なら、誰もがすぐに聴き惚れるはずだと思うじゃない? だけど、最初からそう簡単にはいかないわけで。すべてにおいて、一度がっくり落ち込ませる。だからリアリティが出てくるんだよね。だんだんとジャックを応援したくなってきたもの。「ビートルズがいない世界には、他にも存在しないものがある」って設定も好きだったな。ジャックが偶然それを発見するシーンがどれも最高。同じ世界にダイブしたような気分になったわ。リチャード・カーティスの辛辣っぷりも健在で、ビートルズが存在しないってことは、つまりあのバンドもいないわけで…。あそこは声出して笑っちゃった。
高橋:フフフフフ。さっきビートルズ・ファンの皆さんは過剰に期待しない方がいいとは言ったけど、もちろんその筋の人たちに向けた小ネタや仕掛けがまったくないわけではなくて。「When I’m Sixty Four」や「With a Little Help from My Friend」にちなんだちょっとしたギャグもあるし、劇中で歌われるビートルズ・ソングと物語との整合性もそれなりに練られてる。タイトルの『イエスタデイ』も単にビートルズでいちばん有名な曲だから引用しただけではないからね。ちゃんと意味が込められている。
スー:歌詞が字幕で出るから、じっくり味わえました。サビしか歌詞を知らなかった曲も、「こういう歌だったんだ」ってハマる部分があるよね。
高橋:もともと借り物だったビートルズの歌詞が、次第にジャックの立場や心情とオーバーラップしてくるあたりはグッとくるね。「Help!」もそうだし「Ob-La-Di,Ob-La-Da」もそう。特にデズモンドとモリーの恋物語を描いた「Ob-La-Di,Ob-La-Da」は見事にハマってた。映画のタイトルを『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』にしてもいいぐらい(笑)。
高橋:ダニー・ボイルが監督したラブコメ作品はこれが初めてではなくて、キャメロン・ディアスとユアン・マクレガーが主演を務めた『普通じゃない』(1997年)がある。必ずしも評価の高い作品ではないし、公開当時はネガティブな意味で「普通じゃない」って言われたりもしてたけど、個人的には結構好き。やっぱり音楽の使い方が良くて、ユアンがボビー・ダーリンの「Beyond The Sea」を歌う場面はそこそこ知られてるよね。グラディス・ナイト&ザ・ピップスの「If I Were Your Woman」が流れるシーンも素敵だったな。ストーリーは「人間社会に真実の愛を取り戻すため天国から下界に派遣された天使がカップルの成立に向けて奮闘する」という内容で、ファンタジー要素の強い真っ直ぐなメッセージのラブコメとしても『イエスタデイ』と共通してる。
スー:ラブコメっぽいのは、私たちが提唱しているラブコメの4要素のひとつ、「気恥ずかしいまでのまっすぐなメッセージ」があるからだと思う。人生は「勝ち負け」じゃなくて、「幸せかどうか」だってことを、しっかり伝えてるもんね。後半のとあるシーンで、鳥肌立っちゃったもの。具体的には言えないけど「そうだよね〜」って声が出ちゃった。完全に作り手が仕掛けにきている場面なんだけどさ。
高橋:ジャックがある人物に会いに行くくだりね。ちょっとさじ加減を誤ったら失笑を買いかねない賛否の分かれるシーンだと思うけど、なんだかんだホロリとさせられちゃう。以降に出てくる一部のビートルズ・ナンバーの真っ直ぐなメッセージがエモーショナルに響いてくるのは、間違いなくこのシーンがあるからこそでしょ。
スー:おっしゃる通り。そもそも、誰もが知ってるビートルズの曲の歌詞はだいたい気恥ずかしいんだよな。
高橋:ジャックがインディペンデントのレーベルと契約して、線路沿いの小さなスタジオでレコーディングをするシーンは初期ビートルズ・ナンバーのチャーミングさもあってめちゃくちゃ楽しかった。またヒロインのエリー(リリー・ジェームズ)がやることなすこといちいち可愛くて。のちのジャックが成功してからのレコーディングシーンと比較すると、さっきスーさんが言っていた「人生は勝ち負けじゃなくて幸せかどうか」なんだってことをこれでもかってぐらいに思い知らされる。
スー:そう、すごくチャーミング! 『シンデレラ』(2015年)のヒロイン役で出てた時は、この子苦手だな~って思ったんだけど、今回は彼女の魅力が全開。宅録シーンなんかゴム手袋を楽器代わりにしてて、笑顔が最高だもの。宅録の頃が、彼女にとっては幸せの絶頂だったのかもね。
高橋:うん。「I Saw Her Standing There」や「I Want to Hold Your Hand」みたいな現代にリリースする新曲としてはちょっと無邪気に思えるラブソングも、あのこじんまりとしたスタジオの手作り感あふれるレコーディング風景の中ではまったく違和感なく鳴ってるんだよな。
スー:ジャックが「Eleanor Rigby」の歌詞を必死に思い出そうとするシーンも忘れられないよね。「ファーザー・マッケンジーが靴下を〜」の続きを思い出そうとするんだけど、とか。ジャックの脳内でマッケンジー神父が四苦八苦。映画を観る前に、「Eleanor Rigby」の歌詞だけは見ておいた方がいいかも。