目が覚めたら、自分以外の誰もビートルズを知らない世界に変わっていたら——。自分にとって何が大切かを問う、“ラブコメっぽい”作品を紹介します。
ビートルズが存在しない世界!?
——今回は劇場公開されたばかりの『イエスタデイ』です。これまで連載で紹介してきたラブコメとは少し毛色が違いますよね。
ジェーン・スー(以下、スー) :観る前はそう思ってました! 実は、映画の前に街の中華料理店でチャーハン食べてたんですよ。そしたらちょうどビートルズの「The Fool On The Hill」が流れてきて。「ああ、コレがない世界ってことか…そりゃすごいな」って。いままで意識したことはなかったけれど、日本のチェーン中華料理店にもしっくり馴染んでくるのがビートルズ。思った以上に生活の一部でした。それがない世界、どんな感じなんだろう…と観に行ったら、期待以上にラブコメ要素が多くて、嬉しいサプライズでしたね。
高橋芳朗(以下、高橋) :では、まずは簡単にあらすじを。「売れないシンガーソングライターのジャック(ヒメーシュ・パテル)が音楽で有名になる夢をあきらめた日、世界規模で12秒間に及ぶ原因不明の大停電が発生。暗闇の中で交通事故に遭った彼が昏睡状態から目を覚ますと、なんとそこはビートルズが存在しないパラレルワールドだった。世界中でビートルズを知っているのはジャックただひとりだけという状況下、彼は記憶を頼りにビートルズ・ナンバーをレコーディングして自らの作品として発表。徐々に世間からの注目を集めていったジャックはあきらめかけた夢を叶えようとするが…」というお話。
スー :「ビートルズがいないと、こういうことが起きます」ってエピソードに、どれだけ信ぴょう性を持たせることができるかが、この作品の肝じゃない? その方法が非常にラブコメっぽかったので、この連載にピッタリ! と思ったの。脚本はリチャード・カーティスでしょう? さすがとしか言いようがない。「if(もしも)」の描写で、観客に「ああ! そうか!」と思わせるパターンにもいろいろあって、究極的には「あなたにとって一番大切なモノは何ですか?」って問いにもなっている。
高橋 :これまでリチャード・カーティスが脚本を手掛けてきた作品は、『フォー・ウェディング』(1994年)、『ノッティングヒルの恋人』(1999年)、『ブリジット・ジョーンズの日記』(2001年)、『ラブ・アクチュアリー』(2003年)など。このラインナップを見ての通り、もうラブコメディの極意を知り尽くしてる人なんだよね。ラブコメ好きであれば、彼の名前がクレジットされているだけで安心して観られちゃうようなところがあるんじゃないかな。実際、この映画はラブコメ感覚で鑑賞するのが吉だと思うよ。逆に、ビートルズに引っ張られて音楽映画として臨むと肩透かしを食らうかもしれない。特にビートルズ・ファンの皆さんは過剰に期待しない方がよろしいかと。
スー:その通り。音楽映画じゃないから、ビートルズを知らなくても楽しめるんだよね。「存在して当然」だと思っていたビートルズは、主人公のジャックにとって何のメタファーなのか? それが徐々に明らかになっていくところも秀逸。
高橋:繰り返しになるようだけど、そのへんのストーリー運びはまさにリチャード・カーティスの名人芸。これは物語の核心に抵触する部分かもしれないけど、「存在して当然だと思っていた」は恋愛物の王道設定だからね。
スー:「こうきたら、こうなるんでしょ?」って予想を、きれいに裏切ってくれたのも気持ちよかった。ビートルズの曲なら、誰もがすぐに聴き惚れるはずだと思うじゃない? だけど、最初からそう簡単にはいかないわけで。すべてにおいて、一度がっくり落ち込ませる。だからリアリティが出てくるんだよね。だんだんとジャックを応援したくなってきたもの。「ビートルズがいない世界には、他にも存在しないものがある」って設定も好きだったな。ジャックが偶然それを発見するシーンがどれも最高。同じ世界にダイブしたような気分になったわ。リチャード・カーティスの辛辣っぷりも健在で、ビートルズが存在しないってことは、つまりあのバンドもいないわけで…。あそこは声出して笑っちゃった。
高橋:フフフフフ。さっきビートルズ・ファンの皆さんは過剰に期待しない方がいいとは言ったけど、もちろんその筋の人たちに向けた小ネタや仕掛けがまったくないわけではなくて。「When I’m Sixty Four」や「With a Little Help from My Friend」にちなんだちょっとしたギャグもあるし、劇中で歌われるビートルズ・ソングと物語との整合性もそれなりに練られてる。タイトルの『イエスタデイ』も単にビートルズでいちばん有名な曲だから引用しただけではないからね。ちゃんと意味が込められている。
スー:歌詞が字幕で出るから、じっくり味わえました。サビしか歌詞を知らなかった曲も、「こういう歌だったんだ」ってハマる部分があるよね。
高橋:もともと借り物だったビートルズの歌詞が、次第にジャックの立場や心情とオーバーラップしてくるあたりはグッとくるね。「Help!」もそうだし「Ob-La-Di,Ob-La-Da」もそう。特にデズモンドとモリーの恋物語を描いた「Ob-La-Di,Ob-La-Da」は見事にハマってた。映画のタイトルを『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』にしてもいいぐらい(笑)。
スー:この作品の誕生は、映画の趣味が異なるカップルにとって朗報だよ。ラブコメ映画はあまり好きじゃない、音楽映画は趣味じゃない、っていう二人が一緒に観に行ける数少ない映画だと思う。ラブコメ要素はあるけど、甘すぎないし。
——この映画のジャンルはラブコメじゃなく、ヒューマンSFドラマですしね。
高橋:日常の中に非日常が紛れ込んでくる、藤子・F・不二雄先生的な意味での「SF」(少し・不思議)に近い。「ファンタジーラブコメ」と紹介するのがしっくりくるかな?
スー:だから、この連載に辿り着いた、「NOT音楽ファン」はラッキーだと思う! ビートルズを知らなくても十分楽しめるから、是非観て欲しいよね。
高橋:うん。この粗の多さやご都合主義は完全にラブコメ映画のそれだよね。でも、一般的なラブコメ映画にはない間口の広さとバランス感覚も確実にある。
スー:この作品がラブコメ映画として売り出されていたら、邦題はおそらく『もしも、あなたがいなければ〜ビートルズのいない世界〜』だったと思うわ。
ラブコメ的なメッセージ性
——脚本のリチャード・カーティスしかり、ダニー・ボイル監督の影響も大きいですよね?
高橋 :ダニー・ボイルが監督したラブコメ作品はこれが初めてではなくて、キャメロン・ディアスとユアン・マクレガーが主演を務めた『普通じゃない』(1997年)がある。必ずしも評価の高い作品ではないし、公開当時はネガティブな意味で「普通じゃない」って言われたりもしてたけど、個人的には結構好き。やっぱり音楽の使い方が良くて、ユアンがボビー・ダーリンの「Beyond The Sea」を歌う場面はそこそこ知られてるよね。グラディス・ナイト&ザ・ピップスの「If I Were Your Woman」が流れるシーンも素敵だったな。ストーリーは「人間社会に真実の愛を取り戻すため天国から下界に派遣された天使がカップルの成立に向けて奮闘する」という内容で、ファンタジー要素の強い真っ直ぐなメッセージのラブコメとしても『イエスタデイ』と共通してる。
スー:ラブコメっぽいのは、私たちが提唱しているラブコメの4要素のひとつ、「気恥ずかしいまでのまっすぐなメッセージ」があるからだと思う。人生は「勝ち負け」じゃなくて、「幸せかどうか」だってことを、しっかり伝えてるもんね。後半のとあるシーンで、鳥肌立っちゃったもの。具体的には言えないけど「そうだよね〜」って声が出ちゃった。完全に作り手が仕掛けにきている場面なんだけどさ。
高橋:ジャックがある人物に会いに行くくだりね。ちょっとさじ加減を誤ったら失笑を買いかねない賛否の分かれるシーンだと思うけど、なんだかんだホロリとさせられちゃう。以降に出てくる一部のビートルズ・ナンバーの真っ直ぐなメッセージがエモーショナルに響いてくるのは、間違いなくこのシーンがあるからこそでしょ。
スー:おっしゃる通り。そもそも、誰もが知ってるビートルズの曲の歌詞はだいたい気恥ずかしいんだよな。
高橋:ジャックがインディペンデントのレーベルと契約して、線路沿いの小さなスタジオでレコーディングをするシーンは初期ビートルズ・ナンバーのチャーミングさもあってめちゃくちゃ楽しかった。またヒロインのエリー(リリー・ジェームズ)がやることなすこといちいち可愛くて。のちのジャックが成功してからのレコーディングシーンと比較すると、さっきスーさんが言っていた「人生は勝ち負けじゃなくて幸せかどうか」なんだってことをこれでもかってぐらいに思い知らされる。
スー:そう、すごくチャーミング! 『シンデレラ』(2015年)のヒロイン役で出てた時は、この子苦手だな~って思ったんだけど、今回は彼女の魅力が全開。宅録シーンなんかゴム手袋を楽器代わりにしてて、笑顔が最高だもの。宅録の頃が、彼女にとっては幸せの絶頂だったのかもね。
高橋:うん。「I Saw Her Standing There」や「I Want to Hold Your Hand」みたいな現代にリリースする新曲としてはちょっと無邪気に思えるラブソングも、あのこじんまりとしたスタジオの手作り感あふれるレコーディング風景の中ではまったく違和感なく鳴ってるんだよな。
スー:ジャックが「Eleanor Rigby」の歌詞を必死に思い出そうとするシーンも忘れられないよね。「ファーザー・マッケンジーが靴下を〜」の続きを思い出そうとするんだけど、とか。ジャックの脳内でマッケンジー神父が四苦八苦。映画を観る前に、「Eleanor Rigby」の歌詞だけは見ておいた方がいいかも。
高橋:エド・シーランから「Hey Jude」の歌詞を「Hey Dude」に変えるべきと提案されるギャグにしてもそうだけど、ただでさえ良心の呵責があるジャックはやっぱり適当な歌詞でビートルズの名曲を歌うわけにはいかない。それは「Strawberry Fields Forever」や「Peeny Lane」みたいな作者のパーソナルな体験に基づいた曲にしても同じことで、ジャックはそれらの曲を歌うに当たってせめてもの誠実さを示そうとするんだよね。
——この映画を観たあとはビートルズの曲が聴きたくなりますよね。
高橋:おなじみのビートルズの曲の聴こえ方がちょっと変わった、という人は結構いるかもしれないね。あと、この映画を観たあとの効能としては好きな人や大切な人に会いたくなるというのがある。これは良いラブコメ映画の必須条件!
スー:そう! あとね、リチャード・カーティスもダニー・ボイルも62歳なところがグッとくる。いくつになっても、可愛い気持ちのラブコメ映画を作っていて欲しいなぁ。いつまでも恋する気持ちを忘れないでいられるの、すごく羨ましかった。
高橋:そうね。アイデアのキャッチーさやビートルズ・ナンバーがたくさん聴けることもあるし、いろいろな意味で定番化していくことになる映画だとは思う。
スー:主人公のジャックはインド系イギリス人。その設定が、それを意識する場面はほとんどないけど、最後の方の小さなシーンで活かされてるよね。アルバムジャケットを決める場面で「ポリコレ的にそれはどうなの?」ってなる場面。あれはリチャード・カーティスならではのアメリカへの皮肉だと思ったわ。そういうところも含めて、私にとっては本当にいい“ラブコメ”映画でした。親子でも観に行って欲しいな。
『イエスタデイ』
監督:ダニー・ボイル
脚本:リチャード・カーティス
出演:ヒメーシュ・パテル、リリー・ジェームズ、エド・シーラン、ケイト・マッキノン
TOHOシネマズ日比谷ほか、全国公開中
『イエスタデイ』公式サイト
ジェーン・スー
東京生まれ東京育ちの日本人。作詞家、ラジオパーソナリティ、コラムニスト。現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」(月曜~金曜 11:00~13:00)でパーソナリティーを務める。近著に「女に生まれてモヤってる!」(小学館)。
高橋芳朗
東京都港区出身。音楽ジャーナリスト、ラジオパーソナリティ、選曲家。「ジェーン・スー 生活は踊る」の選曲・音楽コラム担当。マイケル・ジャクソンから星野源まで数々のライナーノーツを手掛ける。近著に「生活が踊る歌」(駒草出版)。