『ラブ・ハード』(2021年)
――ホリデーシーズンということでクリスマスを舞台にした映画『ラブ・ハード』を取り上げます。
ジェーン・スー(以下、スー):この季節、気楽に見るにはぴったり! カジュアルなラブコメ映画のお手本みたいな作品でした。ひとりでも、友だちと一緒でも、パートナーとも安心して観られるし、私は大好きです!
高橋芳朗(以下、高橋):ジャンル映画としての完成度がめちゃくちゃ高い! 『ラブ・アクチュアリー』(2003年)から『恋人たちの予感』(1989年)まで、オマージュもふんだんに盛り込まれていて好事家へのサービスも満点。ラブコメとクリスマススピリットとの相性の良さを改めて証明するような一本でもあるよね。では、まずはあらすじから。「ロサンゼルスでライターとして働くナタリー(ニーナ・ドブレフ)は、マッチングアプリで出会いを探すも失敗ばかり。だが、その失敗談のコラムを書くことで会社での評判は上々だ。そんな複雑な心境のなか、今度こそはとマッチングアプリを見ていたらジョシュ(ジミー・O・ヤン)と出会ってすぐに意気投合。今度こそまちがいないと確信したナタリーは、クリスマスシーズンに思い切ってジョシュが住むニューヨーク郊外のレークプラシッドへと飛び立つことに。しかし、彼女の目の前に現れた彼は写真とは全く違う人物だった…」というお話。要は「理想の相手はなりすましだった!」ってやつね。
スー:ブラインドデートでの勘違い、なんらかの事情でなりすましをする「予定と違う相手とのラブコメ」は定番中の定番とも言えるけど、「マッチングアプリでのなりすまし」は意外と初かも!? 主人公がマッチングアプリでの散々な体験をコラムにしている女性というのはありそうな設定ながら、自分を偽っているのは男性で、それが「職業」や「収入」じゃなくて「顔写真(全く別の人物)」というところが興味深かったな。
高橋:「最初は水と油と思われていたふたりがやがて…」みたいなプロットはラブコメのお約束だけど、この映画に関してはナタリーとジョシュの相性の良さがあらかじめ提示された上で物語が進行していくのがおもしろい。そういった意味ではメグ・ライアンとトム・ハンクスの『ユー・ガット・メール』(1999年)に通じるところもあるかも。
スー:たしかに!! まさかの宿敵とは思わずに仲良くなっていくふたり…。メッセージ交換やチャットが盛り上がっているうちに朝になる演出はありがちとはいえ、鉄板ですな。ニヤニヤしちゃう。これぞプラトニックラブ。偽写真で騙してたのはアウトだけどね…。
高橋:脚本も冴えまくっていて、執拗に張り巡らされた伏線の手堅さはもちろん、ナタリーの退路をどんどん断っていく展開も手練れの所業。ジョシュを取り巻く彼の家族、リン家の設定もよく練られていたよね。
スー:ね! リン家はマッチョなのよ。家父長制が強い。アウトドアショップを営む父、イケメンで陽キャな兄、そしてユーモアはあるけど繊細で、どちらかと言えば陰キャなジョシュ。圧倒的に「兄」を中心に家が回ってるんだよね。父と兄のつながりが強いというか。兄はジョシュに対しても威圧的。大人になってもジョシュが子どものころ太っていたことをからかったり。カジュアルな作品ながら、ルッキズム、長男信仰、家父長制という旧来型の価値観に対するアンチテーゼを、さらっとしっかり提示しているところにも注目してほしい。
高橋:話の流れも兄の登場を契機に微妙に変わってくるからね。ナタリーは兄の横柄な振る舞いに苛立ちを覚えて、なんだかんだジョシュに肩入れするようになっていく。この彼女の兄に対する反抗心がジョシュへの恋心の芽生えなんだろうな。そういえば兄のテーマソングがヴィレッジ・ピープルの「Macho Man」だったね。さすがに笑った!
スー:これ以上わかりやすいBGMはないね!
高橋:そんな兄に対して、ジョシュは密かに行っていたキャンドル開発をナタリーに知られたときに「男は狩りと支払い以外のこともできるんだ」なんて言っていて。彼のスタンスはアンチマチズモなんだよね。
スー:そうね。そして、男性にとって癒される香りに包まれるのはマチズモ的には「はずかしいこと」だから、キャンドルの名前を男性的にしている。男性も手に取りやすいようにね。その辺も考えられているなって思った。
高橋:ジョシュはめっちゃスマートなんだよ。さらっとゴッホの名言を引用したりして、会話もウィットに富んでる。
スー:ラブコメ映画といえば、物語が進むうちに主人公の女性がどんどん可愛く見えてくるものだけど、この作品ではジョシュが少しずつカッコよく見えるようになるんだよね。「少しずつ」の塩梅もちょうどいい。一方、ナタリーはそんなに変わらないというか、等身大。可愛いけど、可愛く見えるためのライティングやメイクやファッションといった演出は施されていない。どこまでも等身大なのよ。そこがリアリティがあって今っぽいなと思いました。親近感もあるしね。で、ジョシュは兄へのリベンジを目論みつつ、親を落胆させたくないからって理由でクリスマスの間だけナタリーに彼女のフリをしてほしいと頼むわけだけど、ジョシュは最初からナタリーが好きなんだよね。それでも、写真で嘘をついていた後ろめたさもありつつ、ナタリーの役に立ちたいという気持ちもありつつ、なんとかナタリーの恋がうまくいくように協力する。涙ぐましいけど、そこまで悲惨でもない。そのあたりの塩梅も抜群。ボルダリングでナタリーを助けてあげる場面があったけれど、あの時のジョシュはすごく頼りがいがあってよかった。かっこよかったよ。
高橋:あれがナタリーの心が動いた最初のシーンかもね。そして、決定的だったのがナタリーとジョシュでクリスマススタンダードの「Baby It's Cold Outside」をデュエットする場面。なぜナタリーがこの曲を「性的暴行の歌」と非難して忌み嫌っていたのか、簡単に説明しておこうか。「Baby It's Cold Outside」が書かれたのは1949年。内容としては、冬を舞台に男女カップルの恋の駆け引きが描かれている。男性の部屋を訪れた女性が「親が心配するから」と帰ろうとすると、男が「でも外は寒いよ」(Baby, it's cold outside)なんて具合に言葉巧みに彼女を引き留めて。そんなあの手この手で口説き落とそうとする男性と、それを交わしていく女性との攻防戦を楽しむ歌として定着していった経緯がある。でも、近年「#MeToo運動」の盛り上がりと共に拒む女性を執拗に口説く男性の言動はハラスメントに当たるのでは、と歌詞を問題視する声が上がり始めて。「この飲み物には何が入ってるの?」みたいにドリンクに薬を盛ったとも受け取れるような描写がデートレイプを連想させるとして、一部のラジオ局では放送禁止の扱いを受けたぐらい。だからリベラルと思わしきナタリーが「Baby It's Cold Outside」に嫌悪感を示すのは当然といえば当然なんだけど、そこでジョシュは機転を効かせて男女の立場を逆転させつつ歌詞もマイルドにして即興で「ポリコレ配慮バージョン」を作り上げたというわけ。歌が進行していくに連れてジョシュを見るナタリーの目が明らかに変わっていくんだけど、こんなのいきなりやられたら確実に惚れちゃうよ! ジョシュのクレバーさを際立たせながらも彼のアンチマチズモをも強調した、まちがいなく劇中のハイライトだね。
スー:あの替え歌は最高! ナタリーとジョシュのふたりしか知らない秘密があって、それを隠し通すミッションがあるからこそ最高に盛り上がるわけだけど……ジョシュ兄の嫌な策略によって、直後に最悪の場面が訪れる。あそこは観てて冷や冷やしたよ。
高橋:近年のラブコメは露骨な悪者を排除する傾向にあったけど、ジョシュの兄貴は久々に現れたいけすかないキャラだったな。
スー:私も思った! 珍しくわかりやすく嫌な登場人物。ナタリーの上司も嫌な奴かなって思っていたけど、最後にすごくいいこと言うんだよね。「完璧な相手ではないとわかっていても、一緒にいられることがすべて」って。そしてピザの空き箱を使ったナタリーの『ラブ・アクチュアリー』オマージュ!!! キュンとした。あと思ったんだけど、この作品って20年前にヨシくんと私が考えたラブコメ作品のテーマ「理想の人が目の前に現れたとしても、その人の好みに自分を合わせて幸せになることはない」に似てるよね。
高橋:ねー、先を越された!
――そんな作品を撮ろうと思ってたんですね! でも、理想の人が目の前に現れたら、まずはその人に合わせようとしちゃう。やっぱり相手には良く思われたいですし…。
スー:想像上の「理想の人」って、そもそも自分のコンプレックスの裏返しだから、ありのままの自分と合うわけないのよ。それに合わせることで自分を上位互換しようとしているだけだから。
高橋:ジョシュの「愛は完璧じゃなくていい。正直であるべきだ」というセリフが核心を突いてるね。
スー:うん、それ全編にわたる大テーマ。ジョシュもそうだし、ナタリーもそう。それまで相手の粗探しばかりしていたナタリー……もうね、マッチングアプリやってる全アラサー男女は今作を観ろ!と言いたい。特に女性! ウオモ読者は主に男性だと思うけど!
高橋:ホントそれ! 真実の愛を見つけるには正直でいること、という真理を説いているわけだからね。マッチングアプリを始める前にまずこれを観るべき!
スー:そう! リストに書き出せるような要素を並べて完璧な相手を探したところで、うまくいくわけないのよ。だって「完璧な相手」って、自分のコンプレックスを他者で埋めようとして生み出した偶像だもの。見つかったとしても自分が無理しなきゃ合わないし、無理をしていたら辛くなる。つまり、完璧な相手なんて探しても無駄。ナタリーとジョシュの会話で好きなクリスマス映画を語るシーンがあるけど、ナタリーは『ダイ・ハード』(1988年)を挙げる。それに対してジョシュは「僕もそう思う!」とはならないのよ。ならなくていい。「なぜそう思うの?」と、そこから楽しい会話がはずめば、意見の相違なんてなんでもいい。それこそが、完璧ではなくても居心地のいい人なんだよね。完璧ではないとわかっていながら、居心地がよくて離れられない相手が運命の人ってこと。
高橋:パンチラインきた! ラブコメはある種の思考実験として楽しめるところが大きな魅力だけど、これは最高に話が弾むやつだと思うな。大推薦!
『ラブ・ハード』
監督:エルナン・ヒメネス
脚本:ダニエル・マッケイ、 レベッカ・ユーイング
出演:ニーナ・ドブレフ、ジミー・O・ヤン、ダレン・バーネット
Netflix映画『ラブ・ハード』独占配信中
PROFILE
東京生まれ東京育ちの日本人。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」、ポッドキャスト番組「ジェーン・スーと堀井美香の『OVER THE SUN』」のパーソナリティとして活躍中。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『私がオバさんになったよ』(幻冬舎文庫)、『これでもいいのだ』(中央公論新社)、高橋芳朗との共著に『新しい出会いなんて期待できないんだから、誰かの恋観てリハビリするしかない 愛と教養のラブコメ映画講座』(ポプラ社)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など多数。
東京都出身。著書は著書は『マーベル・シネマティック・ユニバース音楽考~映画から聴こえるポップミュージックの意味』(イースト・プレス)、『新しい出会いなんて期待できないんだから、誰かの恋観てリハビリするしかない~愛と教養のラブコメ映画講座』(ポプラ社)、『ディス・イズ・アメリカ~「トランプ時代」のポップミュージック』(スモール出版)、『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門』(NHK出版)、『生活が踊る歌~TBSラジオ「ジェーン・スー生活は踊る」音楽コラム傑作選』(駒草出版)など。出演/選曲はTBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』『アフター6ジャンクション』『金曜ボイスログ』などがある。