【ネタバレ注意】
こちらの記事は紹介作品のネタバレを含みますので、未見の方はご注意ください。
『シングル・イン・ソウル』(2023年)
――劇場公開中の新作映画『シングル・イン・ソウル』です。韓国作品を取り上げるのは初ですね。
ジェーン・スー(以下、スー):素晴らしかったです! シングルの生活だけでなく、他者と人生を共にすることについて、エンタメ要素たっぷりながら大事なことをしっかり伝えてくれる作品でした。テーマもしっかりしているし、話の筋にも無駄がない。カメラワークや色調といった映像、セリフ、すべてクオリティがとても高くて感激しました。
高橋芳朗(以下、高橋):大好きな『建築学概論』(2012年)の製作チームが関与しているということで興味を惹かれたんだけど、これはまぎれもない傑作でしょう。スーさんが指摘している通り、とにかく無駄がない。ライトな感覚で楽しめるんだけど、構成自体はめちゃくちゃタイト。ダイアローグもいちいち示唆に富んでいて、キリがないから途中でメモをとるのをあきらめちゃったよ(笑)。それはさておき、まずはあらすじから。「ソロ活好きで気ままなシングルライフを楽しむ、カリスマ塾講師にして人気インフルエンサーのヨンホ(イ・ドンウク)。出版社の有能な編集長でありながら、ひとりでいることが苦手で恋愛に関しては妄想癖のあるヒョンジン(イム・スジョン)。シングルライフと観光地がテーマのエッセイ『シングル・イン・ザ・シティ』シリーズの作家と編集者として出会ったふたりは、ライフスタイルも価値観も何もかもが対照的。本をめぐって事あるごとに対立するが、企画が進むにつれて一緒に過ごす時間も悪くないと思い始め……」というお話。
スー:作品として、物語の基礎がすごくしっかりしてるよね。作りが重層的で、韓国の古い慣習に対する疑問と抵抗がふとしたセリフに垣間見れたり。上映時間は一時間半ちょっとで短いんだけど、どんどん展開していくさまも素晴らしい。展開は限りなくベタで、だからこそ際立つウェルメイド感。
高橋:韓国ラブコメ然としたチャームもしっかり保たれているんだよね。当初は敵対していたふたりが次第に心を通い合わせていく、なんて定番設定を現代的な問題意識を交えてまとめ上げた手際は本当にお見事!
スー:険悪な出会いから始まるのは定番中の定番だもんね。基本をすべて押さえたうえで、新しいものを見せてくれるというか。ステレオタイプ的に悪い人が誰も出てこないのは最近のラブコメ的でもあるね。
高橋:韓国の新しい世代の新しい価値観を積極的に打ち出していこう、という志がこの映画をフレッシュにしているところも確実にあると思う。韓国は日本に比べて「おひとりさま」や「ぼっち」に対して厳しいイメージがあったけど、そういう状況もだいぶ見直されつつあるんだろうね。
スー:ソロ活が日本より大変なのは知らなかった! でも、それを好む人が増えてきたからこそ、今作が共感を呼んだってことだよね。
高橋:うん。物語の軸になるエッセイ『シングル・イン・ザ・シティ』(都市に住むシングル)自体が新しいライフスタイルの提案として企画されたものなんだろうね。
スー:この作品には本当に無駄がないのよ。登場人物の構成、展開、テーマ、物語の進行にも無駄がない。一切の中だるみを感じなかったわ。「本はひとりでは作れない」という物語の筋に、「人はひとりでは生きられない」という大テーマを重ね合わせているのも美しかった。
高橋:映画が始まってすぐにヒョンジンの編集者としての矜持が「本はひとりでは作れない」であることが示されるんだよね。そんな彼女の前に「ひとりでもいい」ではなく「ひとりだからいい」を提唱するヨンホが現れる。彼のモットーはヒョンジンと対照的に「人間関係は最低限でいい」。
スー:ヨンホがシングルを礼賛する理由として、職場でも家でも人は常に何かの役割を担っているから、そこから解放されるひとりの時間が必要だと語っているけれど、それは本当にその通り。でも、だからと言ってひとりでは生きていけないのよね。ヨンホは「人と関わらなくてすむ仕事がしたいから物書きになりたい」と言っていたけれど、ヒョンジンとの仕事のやりとりを通して、本はひとりでは作れないと徐々に悟っていく。
高橋:そう、ヨンホは最終的に「ひとりで生きていくこと」を「関係にとらわれすぎず放棄もしないこと」と定義づけるからね。
スー:反目しあっていたふたりが同じ目的に向かって頑張っているうちに互いの好意に気づく……はラブコメのド定番だけど、それだけで終わらせないのが本作の大きな魅力。中盤からヨンホの元カノの作家ホン(イ・ソム)が現れて、不愛想でクールなヨンホには切ない過去があることがわかってくる。ホンの登場で、ヨンホのキャラクターに立体感が出てくるよね。
高橋:ヨンホの過去の恋愛が語られるなかで、なぜ彼がシングルライフに魅力を見出していったのかも明らかになっていく。「おひとりさま」を謳歌するヨンホの『華麗なるギャツビー』(2013年)オマージュもばっちり決まっていたね。
スー:ヨンホは理路整然とシングル生活の利点を語るけれど、実は忘れられない元カノがいたことが判明して、そこからの物語のドライブ感も見もの。カップルの始まりと終わりを描いた映画『ブルーバレンタイン』(2010年)並みに、愛し合っていたふたりの記憶が違いすぎる件!
高橋:『ノルウェイの森』と『20世紀少年』をめぐるヨンホとホンの恋の「真実」が明らかになるくだりには思わず声が出ちゃったよ。またホンがヨンホから離れていった理由が「ひとりで生きること」に大いに関係してくるあたりが巧妙で。彼女はヨンホに「賞を取ったらお前の人生の責任を取る」と言われたことで「自分は誰かに責任を負わせる存在なのか?」と考えるようになるんだよね。そして「自分のことは自分で責任を負いたかった」からヨンホとの別れを決意すると。
スー:あれもびっくり。韓国の昔ながらの男女の捉え方って、日本のそれよりもずっと強固なんだね。ヨンホも古い価値観に染まっていたってことが、あのセリフで分かる。一方で、男なら彼女のために何かしないといけないと思っていたヨンホが、シングルになって自分のためにお金や時間を使う楽しさを知った描写もテンポがよく素晴らしかった。映画館のポップコーンの例をとって自由を示すのも非常にうまいなと思った。あとヨンホのシングル名台詞「俺に合うのは俺だけ」っていうのも唸ったね。
高橋:いまの話で改めて痛感しているけど本当に無駄がないな。わずかな出番しかないヒョンジン父の再婚相手のセリフにまで意味がある。
スー:そう!!! ひとつの場面にいくつも情報がある。ヨンホの自宅には椅子もマグカップもひとつしかないとか、そういう丁寧なディテールの積み重ねでシングル生活が描写されていて、とってつけた感がないのよ。でも、ラブシーンはめちゃめちゃアメリカのラブコメルックだったね。マンハッタンみたいな夜景をバックに! そういう点ではしっかり濃厚にラブコメ作品です。無駄のなさは体脂肪8%くらいの勢いだけど、ディテールの筋量はすさまじい。完璧なラブコメでありながら、粗のなさは『ラブ・アクチュアリー』(2003年)や『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』(2013年)を手掛けたリチャード・カーティス並だと思ったわ。
高橋:そんなラブコメ仕草のなかにさらっと韓国社会での女性や若者の生きづらさを入れ込んでくるから侮れない。ヒョンジンがお父さんに「ご飯用意してよ」とお願いすると彼は「娘の食事を用意するとからかわれる」と言って拒むんだけど、それを受けてヒョンジンが「優しいって褒められるわ」と切り返したりね。ヒョンジンの会社仲間との飲み会で象徴的に登場する「爆弾酒」の描写からも上司からの酒の強要や旧来的なしきたりに対する静かな抵抗が感じられる。
スー:わかるわかる。繰り返しになるけど、無駄のなさは本当に特筆すべき点。ちょっとしか出てこないけれど、ヒョンジンの女友だちがヒョンジンの恋愛観の危うさをちゃんと教えてあげる役割をしていたのもよかった。映像もスタイリッシュだしね。
高橋:音楽も気が利いていて、メインテーマとして使われているのは今年の『SUMMER SONIC』のステージに立った兄妹デュオのAKMU「Last Goodbye」(2017年)。ヒョンジンとヨンホが心を通い合わせるひとつのきっかけになる韓国産シティポップのキム・ヒョンチョル「It's Been a While」(1989年)も印象的だったな。
スー:作り手のこだわりが随所に感じられるね。ところでこの作品、実はヨンホの成長物語だよね。
高橋:ヨンホはホンとの再会を通して作家としての心得も学んでいくからね。彼女の「傷を隠したまま作家になれるとでも?」という問い掛けは何らかの創作活動を行なっている人なら身にしみてわかるはず。こんな具合に次から次へとぐっとくるセリフが繰り出されていくのに加えて、スーさんが言っていた通りディテールの積み重ねがとにかく丁寧だから、物語が進行していくに従ってなにげないセリフやシーンの余韻がどんどん深くなっていく。最後、ヨンホがヒョンジンにかけるなんでもない言葉の味わい深さったらない。さっきから執拗に「無駄がない」と繰り返しているけど、100分の尺でこの密度はロマンティックコメディの鑑と言っていいと思うよ。
『シングル・イン・ソウル』
監督:パク・ボムス
脚本:イ・ジミン
出演:イ・ドンウク、イム・スジョン、イ・ソム、イ・サンイ、チャン・ヒョンソン、キム・ジヨン他
公式サイト https://singleinseoul.com/
◉新宿ピカデリーほかで公開中
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東京生まれ東京育ちの日本人。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」、ポッドキャスト番組「ジェーン・スーと堀井美香の『OVER THE SUN』」のパーソナリティとして活躍中。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『私がオバさんになったよ』(幻冬舎文庫)、『これでもいいのだ』(中央公論新社)、高橋芳朗との共著に『新しい出会いなんて期待できないんだから、誰かの恋観てリハビリするしかない 愛と教養のラブコメ映画講座』(ポプラ社)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など多数。
東京都出身。著書は著書は『マーベル・シネマティック・ユニバース音楽考~映画から聴こえるポップミュージックの意味』(イースト・プレス)、『新しい出会いなんて期待できないんだから、誰かの恋観てリハビリするしかない~愛と教養のラブコメ映画講座』(ポプラ社)、『ディス・イズ・アメリカ~「トランプ時代」のポップミュージック』(スモール出版)、『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門』(NHK出版)、『生活が踊る歌~TBSラジオ「ジェーン・スー生活は踊る」音楽コラム傑作選』(駒草出版)など。出演/選曲はTBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』『アフター6ジャンクション』『金曜ボイスログ』などがある。