2024.09.13

『トップガン』俳優グレン・パウエルの魅力が炸裂! 実話を基にしたクライムロマコメ【ジェーン・スー&高橋芳朗 ラブコメ映画講座 #63『ヒットマン』】

【ネタバレ注意】
こちらの記事は紹介作品のネタバレを含みますので、未見の方はご注意ください。

『ヒットマン』(2023年)

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――劇場公開最新作『ヒットマン』です。スタンダードなラブコメとはちょっと違う印象を受けましたが、いかがでした?

ジェーン・スー(以下、スー):見応えたっぷりの怪作ラブコメでした! リチャード・リンクレイター監督は「コメディ、ノワール、スリラー、心理学などさまざまな要素を織り込んだ作品」とインタビューで答えていたけど、私にとってはロマンティックホラーコメディでしたね。ロマンスやコメディの要素満載だけれど、後半からどんどん雲行きが怪しくなっていって……最終的にああいう選択をするふたりには、ホラーを感じたわ。

高橋芳朗(以下、高橋):ノワールやスリラーの要素も確かにあるけど基調はコメディだよね。スタンダードなラブコメとは言い難いものの、身分を偽ったロマンスはこのジャンルの定番的題材であるのも事実なんだよな。では、まずはあらすじから。「ニューオーリンズで2匹の猫と静かに暮らすゲイリー・ジョンソン(グレン・パウエル)は、大学で心理学と哲学を教える傍ら地元警察に技術スタッフとして協力していた。ある日、おとり捜査で殺し屋役となるはずの警官が職務停止となってゲイリーが急遽代役を務めることに。殺人の依頼者を捕まえるためにさまざまな姿や人格に変身する才能を発揮したゲイリーは、有罪判決を勝ち取るための証拠を引き出して次々と逮捕へ導いていく。ところが、支配的な夫との生活に追い詰められた女性マディソン(アドリア・アルホナ)が夫の殺害を依頼してきたことでゲイリーはモラルに反する領域に足を踏み入れてしまう。セクシーな殺し屋ロンに扮して彼女に接触し、事情を聞くうちに逮捕するはずの相手と恋に落ちてしまったのだ。ふたりの関係はやがてリスクの連鎖を引き起こしていくことになるのだが…」というお話。主演ふたりの会話でストーリーが進行していくラブロマンスの金字塔『ビフォア』シリーズ3部作(『ビフォア・サンライズ』『ビフォア・サンセット』『ビフォア・ミッドナイト』)を手掛けたリンクレイターだけあってダイアローグの安定感はさすがだった。

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スー:『ビフォア』シリーズも、実はビターな側面こそがリアルだと私は思っていて。今回もダークでビターな部分がピリリと効いてます。ラブコメといえば、誰と誰がくっつくかポスターを見た時点でわかるのが常だけど、今回はちょっと違うよね。ポスターも変わってるし。そういう意味でも、シンプルなラブコメとはひと味もふた味も違う。そして、なんと言ってもグレン・パウエルの魅力が炸裂してたわ! 俳優ってそういう職業と言われればそれまでだけど、ひとつの作品のなかでこんなにいろんなキャラを演じ分けられるのに舌を巻きました。

高橋:グレン・パウエル、めっちゃ良かったねー。『恋するプリテンダー』(2023年)から『ツイスターズ』(2024年)へと続いた流れが余計にそんな気分にさせるんだろうけど、ひさしぶりにラブコメ界を背負えるスターが現れた興奮がある。かつてのラブコメのキング、ヒュー・グラントやアダム・サンドラーとはちょっと毛色が違うのがまたいい。グレンは14歳のころからリンクレイターと交流があって、彼が監督を務めた『ファーストフード・ネイション』(2006年)や『エブリバディ・ウォンツ・サム!!』(2016年)などに出演している。今回に関してはリンクレイターと共同で脚本も手がけていたりするからね。

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スー: グレン・パウエルは『恋するプリテンダー』や『セットアップ:ウソつきは恋のはじまり』(2018年)にも出演してたけど、今作が最も輝いて見えたわ。グレンが演じる真面目なゲイリーが、私生活でもセクシーな殺し屋ロンに変化していくグラデーションには目を見張るものがあったね。あの変容を観るだけでも価値があるわ。

高橋:最初はゲイリーのことなど眼中になかった生徒たちが「最近セクシーじゃない?」なんてささやき出したりしてね。徐々にゲイリーとロンの配分がちょうどいい塩梅になっていくわけだけど、ゲイリーがロンでいることに次第に心地よさを覚えてくる変遷はこの映画の大きな見どころのひとつだと思う。

スー:「あ! ロンになってきてる!」ってわかる瞬間があるんだよね。最初はあくまで「非日常」を演じることを楽しんでいたゲイリーだけど、ロン的な気質で生活していくほうが居心地がよいと感じる自分を発見してしまう。そんなゲイリーは、授業では生徒に「自分とはなにか?」を考えるよう説いている。なかなか皮肉が利いてるよ。

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高橋:当初ゲイリーは地味な生活にも満足していたのにね。

スー:ねー、イド(無意識)とエゴ(自我)という名前の猫とともにおだやかに暮らしていたわけで。脚色したり付け加えたりする要素はあるけれど、これが実話に基づいた話っていうのも驚き。警察のおとり捜査に協力していた実在の大学講師!(※劇中では大学教授)

高橋:イドとエゴのネーミングがあまりに示唆的すぎると思ったけど、あれも実話通りだっていうんだからびっくりだよ。示唆的といえばさ、冒頭の授業中のニーチェの引用「最大の成果や喜びを得る秘訣は人生を危険にさらすこと」とそれに対する生徒の解釈「自分の殻を破れ、リスクを冒して快適な場所から飛び出せ、人生は短いのだから情熱的に好きなように生きろ」がすでに映画の核心に触れているんだよな。

スー:とか言いながら、ゲイリーは現実には何もやっていなかったんだよ。ゲイリーは自分の人生を生きているようで、生きていなかったんだとも言える。人生の可能性のリミットを自分で勝手に決めてしまっていたように見えた。誰のことも傷つけず、自分もなるべく傷つかず、自分の世界にこもっていたゲイリー。充足感にあふれることはないだろうけど、これはこれで幸せだよね。でも、ひょんなことから偽の殺し屋になって、そこで自分以外の自分になる興奮を知ったわけだけど…。それにしても! 相手役のマディソンが危ういのよ。

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高橋:うん、マディソンはいくらなんでも後先を考えなさすぎる。ファムファタルのようでいてファムファタルになりきれない迂闊さがあるというか。

スー:ひどく短絡的で心配になるよ。マディソンだけでなく、殺人を依頼してくる人たちがみんな短絡的でカジュアルに殺しを頼んでくるのが笑えました。コメディ要素だね。

高橋:そんな彼らに対してのゲイリーのモノローグが印象的だったな。「人間の謎めいた行動は最大の関心事。会ったばかりの男に大金を払って殺人を依頼する。その無邪気さと情熱がまぶしい」と。心理学を学んできた立場からも連中の思考に興味を惹かれたんだろうね。

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スー:その頃はまだ「他人事」だったからねえ…。フフフ。ゲイリーは人生にドラマを求めず、殻に閉じこもることで身の安全を確保していたけれど、コミュニケーションがうまくできないことは自覚してるのよね。適量適質の会話がわからないっていうのかな。それは周囲の人間のリアクションとしても何度か描かれているよね。そんなゲイリーが、架空の他者を演じ、好きな人ができたことでぐんぐん変わっていく。私は最初の頃のゲイリーみたいなこだわりの強い人も好きだから、あのままでも十分魅力的だったけどね。

高橋:元妻のアリシア(モリー・ケイト・バーナード)との対話にゲイリーの微妙な心の揺れが表れていたような気がする。アイデンティティや実存主義に関するアリシアの「自己が構築されたものなら人は役を演じている。人間は変われる? なりたい人間のように行動すればそうなれる」との見解を受けての納得しているような困惑しているような複雑な表情が絶妙だった。ふたりの会話にはまさに『ビフォア』シリーズのジェシーとセリーヌを彷彿とさせるウィットとインテリジェンスを感じたな。

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スー:ゲイリーも、こんなことになるとは予想してなかったと思うよ。マディソンとの出会いはあくまできっかけ。ロンとしてマディソンを守っているうちに、殻が破れたのかな?

高橋:多分そうなんだろうね。ロンでいることに居心地の良さを感じているなかで新しい自分が表に出てきたという。

スー:「Fake it till you make it」でもあるね。できるようになるまでは演じきれ、っていうやつ。お相手のマディソンも、ロンと出会ったことでどんどん大胆になったよ。ふたりの相乗効果が大きかった。でもねえ、そんなマディソンがひたすら迂闊なのと、マディソンに対して「罪を償え!」とゲイリーが言わないのが、私にとっては恐怖なの! 自分たちの都合で、人を殺しっぱなしだからね。ゲイリーがマディソンに自首を説得したりする場面は不要だとは思いつつも、怖すぎる…! こういう「究極のご都合主義」ははじめてだよ。

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高橋:ふたりはとんでもないシチュエーションで永遠の愛を誓うことになるからね。そうそう、この映画の魅力を語る上で忘れちゃいけないのが挿入歌の選曲の妙。舞台に合わせてほぼ全編がニューオーリンズのR&Bやジャズで占められている。ざっと挙げていくと、プロフェッサー・ロングヘア「Big Chief」、アルヴィン・ロビンソン「Down Home Girl」、アラン・トゥーサン「Cast Your Fate to the Wind」、ドクター・ジョン「Such a Night」など。ニューオーリンズ音楽の呑気な味わいがオフビートな物語に見事にマッチしていたね。

スー:とんでもない話なのにどこか他人事で呑気なムードが漂っていたのは、音楽の効果もあるんだろうね。 最初にホラーって言ったけど、「新しい自分になれる」みたいな前向きな気持ちという意味では、私たちが提唱するラブコメの4つの条件(1.気恥ずかしいまでの真っ直ぐなメッセージ 2.それをコミカルかつロマンチックに伝える術 3.適度なご都合主義 4.「明日もがんばろう!」と思える前向きな活力)は満たしてるか(笑)。

『ヒットマン』

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監督:リチャード・リンクレイター
脚本:リチャード・リンクレイター&グレン・パウエル
原案:「テキサス・マンスリー」誌 スキップ・ホランズワースの記事に基づく
出演:グレン・パウエル、アドリア・アルホナ、オースティン・アメリオ、レタ、サンジャイ・ラオ
公開表記:9月13日(金)新宿ピカデリーほか全国ロードショー
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https://hit-man-movie.jp/

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作詞家・コラムニスト・ラジオパーソナリティ
ジェーン・スー

東京生まれ東京育ちの日本人。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」、ポッドキャスト番組「ジェーン・スーと堀井美香の『OVER THE SUN』」のパーソナリティとして活躍中。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『私がオバさんになったよ』(幻冬舎文庫)、『これでもいいのだ』(中央公論新社)、高橋芳朗との共著に『新しい出会いなんて期待できないんだから、誰かの恋観てリハビリするしかない 愛と教養のラブコメ映画講座』(ポプラ社)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など多数。

音楽ジャーナリスト・ラジオパーソナリティー・選曲家
高橋芳朗

東京都出身。著書は著書は『マーベル・シネマティック・ユニバース音楽考~映画から聴こえるポップミュージックの意味』(イースト・プレス)、『新しい出会いなんて期待できないんだから、誰かの恋観てリハビリするしかない~愛と教養のラブコメ映画講座』(ポプラ社)、『ディス・イズ・アメリカ~「トランプ時代」のポップミュージック』(スモール出版)、『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門』(NHK出版)、『生活が踊る歌~TBSラジオ「ジェーン・スー生活は踊る」音楽コラム傑作選』(駒草出版)など。出演/選曲はTBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』『アフター6ジャンクション』『金曜ボイスログ』などがある。

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