現在公開中の映画を、菊地成孔が読み解く。
『フェラーリ』
全編英語でイタリア人を描く。
マイケル・マンの娯楽精神が痛快
今年81歳になったマイケル・マン。トム・クルーズ主演の『コラテラル』などで映画業界内でも尊敬されている監督です。が、ほかの80代監督とは違いますね。巨匠然としていない。くしくも同い年のデヴィッド・クローネンバーグのように根が軽い。老境で重厚になったイメージがないんです。やはり、かつて「刑事スタスキー&ハッチ」で脚本を手がけ、「特捜刑事マイアミ・バイス」で製作総指揮を務め、最近の「TOKYO VICE」では監督までしてしまうテレビのキャリアがそう思わせる。現場が好きで好きでしょうがない。楽しくものづくりをしているのだと思います。
『フォードvsフェラーリ』では製作総指揮に加わりながら、その4年後に『フェラーリ』を監督してしまう。構想30年の念願企画とはいえ、『フォードvsフェラーリ』があれだけ高い評価を得ているのだから普通は諦めます。ところが撮りたいから撮る。なんの躊躇もない。主演は二転三転の末、アダム・ドライバーに決まったようですが、主人公が元レーシングドライバーであるフェラーリ社の創始者エンツォだけに、“ドライバー”つながりでもある(笑)。
驚くべきことにイタリア人の物語なのに、全編英語。時代考証もレースの再現も完璧。増量したアダムも、悪妻に扮したペネロペ・クルスも、名演・熱演。なのに全員、英語を話している。ここにテレビ娯楽の精神を見ます。いい意味で、最高級の安物。部分的にイタリア語を取り入れる方法もあっただろうにしない。平然とした選択にマイケル・マンを感じます。
思うに彼は、役者に直接演出するタイプの監督なのではないか。モニターを眺めているなら、イタリア語でもよかった。でも自分が役者と相対するなら、やはり英語でなければいけなかったのではないでしょうか。
娯楽映画の骨法を知る男だけに、130分飽きさせません。作品も薫り高い。画面も細密。波乱の人生を送ったエンツォの転換点を描く物語はシリアス。でも、重くはならない。
多くの巨匠たちがそれなりに現代に対応する映画を作っているのに対し、ある意味「マイアミ・バイス」のような軽快さで、悠々と撮っている。作品は立派な仕上がり。でもそれ以上に“元気なおじいちゃん”っぷりが痛快です。(談)
『フェラーリ』
監督/マイケル・マン 出演/アダム・ドライバー、ペネロペ・クルス、シャイリーン・ウッドリー
7月5日よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
1957年。レースに入れ込みすぎて屋台骨は火の車。しかしフェラーリ社の創業者エンツォは起死回生を懸け、大きなレースに挑む。本妻と愛人との二重生活の修羅場に直面しながらも、ロマンを追い求める主人公の姿を『ヒート』など男くさい世界観で知られるマイケル・マン監督が見つめる。主演アダム・ドライバーは増量し、伝説の人物のルックスに大接近している。
音楽家、文筆家、音楽講師。最新情報は「ビュロー菊地チャンネル」にて。
ch.nicovideo.jp/bureaukikuchi