現在公開中の映画を、菊地成孔が読み解く。
『関心領域』
アウシュビッツの隣の優雅な生活
戦時下の狂気を21世紀はどう描いたか
カンヌ国際映画祭でパルム・ドールに次ぐグランプリに輝き、アカデミー賞でも国際長編映画賞を受賞した話題作ですが、音楽がミカ・レヴィなんですね。この連載でも紹介した『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』など映画音楽も手がける才人ですが、今回はなんとAIを導入。合唱、オーケストラ、弦楽器をAIで再現、人間には演奏できないような部分を入れています。結果、ハルシネーションと呼ばれる幻覚作用を呼び込む。冒頭、真っ黒な画面に延々この曲が流れる。そもそもオープニングのタイトルが出た後、一文字もなく黒い画面が数分間続くことには非現実感しかない。そこにこの音楽。まさに“これは現実ではありませんよ”と念を押されているような効果。さすがミカ・レヴィだけに本編にも期待したのですが…。
アウシュビッツ収容所の隣で優雅な暮らしをしている家族がいた。あまりにも非現実的で、狂気に近い状況。現実が現実に見えなくなるような狂気の表現で描くのか、徹底的に現実の目線から描くのか。
画面構築の美しさは半端ありません。どのショットも絵画のようにきれいで隅々まで計算されている。画像も色調もすごい。映像にもAIを導入しているのではないでしょうか。しかし。
物語として大したことは起こらない。歴史上の大事件が彼らの日常だった。それを淡々と見せる。人物が置かれている状況、変化、抑圧、わずかな狂気は描かれるが、あまりに何も起こらない。かといって、本人たちにとっては日常なのにハタから見ると信じがたい、という強烈なインパクトもない。何らかのオチもない。
現実感のない物語であることは、狂気と現実の皮膜や夢の次元にある音楽が示してはいる。だがそれだけでは心を打たない。アウシュビッツの阿鼻叫喚を聞こえないふりをして生きる人たちを描いてはいるが、何の痛みもない。
映画メディアが繰り返してきた反戦メッセージは結局プロパガンダとなり得ず、人間は今も戦争をやめられずにいる。この現実への抵抗も諦念も感じられない。
20世紀的な題材を21世紀的に描いたとは言える。しかし、これほど美しくなくてもいいから、もっとリアルにとらえてほしかった。小洒落たモダンアートにしか見えないのです。(談)
『関心領域』
監督・脚本/ジョナサン・グレイザー 出演/クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラー
新宿ピカデリーほか全国公開中
イギリスの気鋭ジョナサン・グレイザー監督による、澄みきったパースペクティブによる異色作。ユダヤ人が大量虐殺されているアウシュビッツ収容所の隣で、ハイソな暮らしをしているドイツ人家族たちがいた…。アカデミー賞では音響賞にも輝いた本作。静かな暮らしと歴史的悲劇の落差は、直接的には描かれず、ある種の反響として映画の中に存在している。
音楽家、文筆家、音楽講師。最新情報は「ビュロー菊地チャンネル」にて。
ch.nicovideo.jp/bureaukikuchi