まだ知らない体験や世界を読書は教えてくれる。嶋浩一郎さんの薦める今月の一冊は?
『東京都同情塔』
不適切にもほどがあるよ!
このパラレルワールドは
3月29日が最終回の宮藤官九郎が脚本を手掛けたドラマ「不適切にもほどがある!」(TBS系)が話題ですね。阿部サダヲが演じる昭和の価値観バリバリの体育教師「地獄のオガワ」が、1986年の世界からコンプライアンスバリバリの令和の世2024年にタイムスリップしてしまうコメディです。好きな番組が「11PM」と「トゥナイト」、女好きで、根性論を振りかざし野球部の生徒にケツバットを連打する男は、今の時代の価値観から見ると、完全アウト〜! でも、なぜかチャーミング。2024年の人々との会話はまったく嚙み合わないのだけれど、彼らの言い合いを見ていると、今も昔もどっちもどっちだなあと思うことも。
日本人は弁証論的な議論が苦手だっていわれていますね。弁証論とはAというアイデアに対して、反論Bが提示されたとき、Aを主張する人も、Bを主張する人も満足するCというアイデアを考える思考法。日本人は異なる意見を持つ人と話をすることが苦手だから、議論自体を避けたり、対立したまま喧嘩別れしてしまうことが多いといわれています。「不適切〜」の視聴者は第三者的な立場で、’80年代の価値観と今の価値観のバトルを観戦できるので、ドラマを見ながら「うーん、なんか、もっといいやり方ないの」なんてモヤモヤする。これまさに弁証論的。クドカンのドラマはよりよいダイバーシティって何なんだろうと考えさせてくれるんです。
第170回芥川賞受賞作『東京都同情塔』の舞台はザハ・ハディドが設計した国立競技場が存在するパラレルワールド。そこには、競技場と姉妹のような「シンパシータワートーキョー」という名の塔が存在しています。そこは罪を犯した者たちのためのラグジュアリーな刑務所。施設を設計した建築家や施設の運営者と、施設を取材する差別主義者といわれるジャーナリストの対話はすれ違います。読者は「不適切〜」の視聴者のように嚙み合わない価値観バトルを客観的な立場から読み進めることができます。どんな未来が我々にとって幸せなんでしょうか?
『東京都同情塔』
九段理江著
新潮社 ¥1,870
パラレルワールドに存在する犯罪者が住むタワーを舞台にした芥川賞受賞作。主人公の建築家はAIとの「壁打ち」を好んでいます。そして作者九段理江も執筆時にAIを活用したと取材で答え、話題になりました。この小説は言葉の繊細さを読者に意識させます。この建物は「刑務所」と呼ばれるべきか? 住民は「犯罪者」と呼ばれるべきか? そして、AIと人間の言葉の違いも考えさせられることでしょう。
1968年生まれ。博報堂ケトルクリエイティブディレクター、編集者。本屋B&Bの運営にもかかわる。著書に『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』『アイデアはあさっての方向からやってくる』など。