まだ知らない体験や世界を読書は教えてくれる。嶋浩一郎さんの薦める今月の一冊は?
『銀座巡礼 夜のうたかた交友録』
大人はさりげなく美しい所作で
他人に記憶される
松浦弥太郎さんにはいろんなルーティンがあります。月二回髪を切りに銀座に行くそうです。そのとき、必ず立ち寄るのが銀座ウエスト。そこで必ず注文するのがトーストハムサンドなんだそうです。そう、僕も大好きですウエストのトーストハムサンド。パンの厚さといい、トーストの焼き具合といい、バターの馴染み方といい、何もかもがちょうどいいんですよ。
弥太郎さんがウエストにはじめて行ったのはお父様と。お父様はここで働く人たちの言葉遣いや歩き方をよく見ておきなさいとおっしゃったらしいです。そう、ウエストのウエイトレスさんたちは凜としているんです。緊張感があるんですけど、せかせかしていない。余裕がある銀座らしい所作だなあとウエストに行くたびに感じます。
『銀座巡礼』にはそんな銀座カルチャーをつくった昭和のパイセンたちのエピソードが満載でした。JUNの創業者佐々木忠さんや、ソニービルにマキシム・ド・パリを開業するなど銀座の飲食業界の歴史を変えた三好三郎さん。ユーミンやYMOを世に出したアルファミュージックの村井邦彦さんなど、銀座の街で育った愛すべき不良たち。ラジオプロデューサーの延江浩さんが本人や関係者に取材、銀座の人間関係を描きだします。
昭和の時代、彼らは今でいうスタートアップの創業者。新しいカルチャーを次々吸収するビジネスセンスをもった人たちが、洗練された大人の文化をもちつつも、新しいモノを絶えず取り入れ変化する銀座の街の礎をつくったことがわかります。
著者は銀座でお店を持っていた人たちも取材しています。テレビプロデューサー久世光彦さんの妻朋子さんが銀座に開いたバー〈茉莉花〉。常連客だった帝国ホテル犬丸一郎社長はかならず、夕方電話をかけてきて「これから伺います」のひと言。一人で現れ長居せず、4つに折りたたんだお札を朋子さんの手のひらにそっとおいて「じゃあ」と出ていくそうです。さりげなく美しい所作が、その人の思い出になっているって素敵ですね。
『銀座巡礼 夜のうたかた交友録』
延江浩著
講談社 ¥2,420
銀座の店舗がつくる銀座百店会が、1955年から銀座文化を発信するために発行している『銀座百点』。同誌に連載された「都市の伝説 銀座巡礼」に加筆されたのが本書。昭和から令和の銀座の変遷が銀座人の視点で語られる。銀座スイスのカツカレーや、資生堂パーラーのチキンライスなど愛すべき不良たちが通った店のメニューもたくさん登場し、そんな店にぶらりと一人訪ねたくなる。
1968年生まれ。博報堂ケトルクリエイティブディレクター、編集者。本屋B&Bの運営にもかかわる。著書に『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』『アイデアはあさっての方向からやってくる』など。