読書をすることは自身の武器になり、血と肉にもなる。千野帽子さんお薦めの今月の一冊は?
『なぜスナフキンは旅をし、ミイは他人を気にせず、ムーミン一家は水辺を好むのか』
「発達障害」という補助線を
ムーミン谷に引いてみたら
子どものころ、僕は『ムーミン』の原作もアニメも体験しなかった。そしてあるとき偶然、ヤンソン描くムーミン谷のキャラクターたちの絵に惹きこまれた。
小説版ムーミンを読んだのはさらにあと、かなり齢をとってから。僕は混乱した。語り手は登場人物たちの思考や感情を言語化してるけど、そこについていくのが難しい。作中世界の自然や風景は美しいけど、不思議な怖さを帯びている。ほかに似た作品が思いつかないシリーズだ。
ここ数年刺戟的な本を怒濤のように出している横道誠さんが、発達障害当事者(ニューロマイノリティ)の立場から小説版を読み解いている。当事者の自助グループにはじめて参加したとき、場の雰囲気がムーミン谷そのものだったという。
著者はヤンソンの作品と伝記(日本語で読めるものが二点)を踏まえ、ヤンソンがニューロマイノリティだった可能性を示唆する。その補助線を引いたムーミン谷は、僕の初読時の混乱と大きく異なる感慨を抱かせるものだった。一か所に落ち着けないスナフキン、よくわからないタイミングで極端な行動に出るムーミンパパ、収集癖のあるヘムレンさん。彼らの奇癖やシュールなギャグ、水や緑や暗闇を記述する文章に、違う角度から光が当たる。楽しい本だ。
もうひとつおもしろいのは、シリーズ九タイトルを初期(1945-48)、中期(1950-57)、後期(1962-70)に分け、作風の変遷を作者の伝記情報と対照している点。
自分もどっちかというと注意欠陥サイドの人間なのではないかとうっすら思っている。だからって、本書を読んでムーミンシリーズが腑に落ちたり、わがことのように読めるようになったりしたわけではない。
ただ、とにかく嬉しい。なにしろ、初読時のひたすら混乱した読後感がおさまって、ムーミン谷の彼らのヤバさと、落ち着いて正対できるようになった気がするんだから。そんなわけで、ちょっと読み直してきます。未読の漫画版もこのさい揃えよう。
『なぜスナフキンは旅をし、ミイは他人を気にせず、ムーミン一家は水辺を好むのか』
横道 誠著
ホーム社 ¥1,870
著者は1979年大阪府生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科研究指導認定退学。博士(文学)。専門は文学・当事者研究。京都府立大学文学部国際文化交流学科准教授。著書に『みんな水の中 「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、共著に『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』(太田出版)など。
文筆家、俳人。パリ第4大学博士課程修了。著書に『人はなぜ物語を求めるのか』『物語は人生を救うのか』(ともにちくまプリマー新書)など。訳書にトマス・パヴェル『小説列伝』(水声社)。