読書をすることは自身の武器になり、血と肉にもなる。千野帽子さんお薦めの今月の一冊は?
『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』
「性別違和の人たち」ではなく
娘を持つ親が本書の「当事者」
知人に性別違和を表明した人が三人いる。すべて男性身体を持っていた。本書の主題は女性身体から男性身体への移行。読んでると知らないことばかりで、両ケースをひとからげに論じるのは難しいとわかる。
本書は性別違和の表明を、思春期女子心性の発露と位置づけている(すべてがそうだと決めつけているわけではない)。著者の観察によると、違和を表明する少女はレディー・ガガを嘲笑しがち、「母親」を恥じがち、バービーでない自分を惨めに思いがちだそうだ。なんかわかる気がする。
日本と米英・カナダとでは予想以上に事情が違うらしい。また性別違和の表明が2010年代に急増し、都市部の経済的に恵まれた白人家庭に集中していた、という社会的条件はきわめて示唆的だ。
ただ、本書の主張に全面賛成とはいかない。『精神疾患の診断・統計マニュアル』(DSM)の、最新でないヴァージョンに意図的に依拠する箇所があるのが気になる。
最後まで読むとわかるが、本書の裏テーマは「女性論」。女性論の部分は、拍子抜けするくらいマトモなことが書いてある。
その直後に、「自覚的に毒親の強権発動をやりきれ」的な煽りがくるので、サウナを出て水風呂に入るようなギャップで心臓に悪い。10代後半から20代の娘を性別移行の試みから遠ざけるために、必要ならスマートフォンを奪い、田舎への転居すら辞すべからず、というにわかに首肯しづらい主張には、悪いけどちょっと引いた。
他社からの刊行が昨年末に直前で中止、今年四月に現行の題で刊行されると、大小の書店が本書を「置かない」とわざわざ明言したことで話題となった。騒ぎばかり伝わって、読まずに判断する人が増えるのは望ましくない。伝聞ではなく自分の頭で読んで判断する回路を、少しでも作っておきたくて、本書を取り上げた。
本書における「当事者」とは性別違和を表明する若者たちではなく、あくまで「娘を持つ親」だ。ヘイトではないが、取扱要注意の本。って、そもそも本というものの大半はそういうものでしょ。本を「無謬」と「規制対象」の白黒二極に分けたがる風潮には、僕はついていけません。
『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』
アビゲイル・シュライアー著
岩波明監訳 村山美雪・高橋知子・寺尾まち子共訳
産経新聞出版 ¥2,530
著者はコロンビア大学で文学、オックスフォード大学で哲学、イェール大学法科大学院で法務を学ぶ。近刊に『バッド・セラピー なぜ子どもたちは成長しないのか』(未訳)。監訳者は1959年横浜市生まれ。東京大学医学部、ユリウス・マクシミリアン大学ヴュルツブルク精神科で学ぶ。東大医学部助教授、昭和大学附属烏山病院長などを歴任。著書に『どこからが心の病ですか?』(ちくまプリマー新書)など。
文筆家、俳人。パリ第4大学博士課程修了。著書に『人はなぜ物語を求めるのか』『物語は人生を救うのか』(ともにちくまプリマー新書)など、共著に『東京マッハ』(晶文社)。