まだ知らない体験や世界を読書は教えてくれる。嶋浩一郎さんの薦める今月の一冊は?
漫才復活!伝説は崖っぷちから始まった
2023年のM–1グランプリの勝者が決まっているはずですね。8540組という史上最多のエントリーの頂点に立てたのは誰だったんでしょうか?
いまや年末の風物詩になったM–1。じつは崖っぷちから始まったプロジェクトだったって知ってました?
’80年代初頭、ツービート、B&B、紳助竜介といった漫才のレジェンドたちが一世を風靡した「漫才ブーム」がありました。フジテレビの「THE MANZAI」は小林克也のナレーションで、出囃子がフランク・シナトラというポップな演出。YMOがトリオ・ザ・テクノというグループ名で漫才を披露するなどカルチャーをも感じさせる大ヒット番組でした。当時、小学生だった自分もたけしや紳助の攻めた漫才に夢中になりました。
しかし、ブームは去り21世紀を迎えるころには、若手のお笑いの芸の主流はコントへ移り、しゃべくりだけで笑いをとる漫才はオワコン状態に。そんな中、吉本興業が漫才を復活させるプロジェクトを立ち上げ、そのリーダーが本書の著者、谷良一さんでした。島田紳助に「M–1は私と谷が作った」と言わしめる人物です。
「金の力で漫才師の面をはたくんや」と賞金を破格の1000万円に設定したり、松本人志を審査員に口説いた紳助さんの功績は絶大ですが、本書を読むと谷さんなしでこの大企画は生まれなかったことがわかります。
とにかく、谷さんのやり方がすごい。そして、ひどい!(笑) 局との交渉、競合事務所への参加要請、スポンサーの獲得など、立ちはだかる壁にあの手この手で立ち向かうのだけど、時にハッタリやその場しのぎも繰り出して、泥臭い仕事をブルドーザーのように進めていくんです。吉本やテレビ局の関係者への愚痴や悪口もポンポン飛び出して、番組立ち上げに向けた現場のヒリヒリ感がリアルに伝わってきます。これは新感覚のドキュメンタリー。「THE MANZAI」の全盛期の入社時に見たキラキラした漫才をなんとしても復活させたいという谷さんの漫才愛が全編にほとばしる一冊です。
『M-1はじめました。』
谷 良一著
東洋経済新報社 ¥1,760
2001年の初代チャンピオン中川家を皮切りに漫才界のスターを続々誕生させた「M-1グランプリ」。この国民的番組は、オワコン化した漫才を復活させる吉本興業の社内プロジェクトによって生まれた。本書はそのリーダーだった谷良一による番組誕生秘話。「M-1」を白熱したガチンコ勝負にするための仕掛けが出場資格、ネタ時間などあらゆるところまで緻密に仕込まれていることもわかる。