2022.04.03
最終更新日:2024.03.07

【大人たちのプロ野球2022】斎藤佑樹が語る「僕がいたプロ野球、これからのプロ野球」

2021年限りで「野球選手」としてのキャリアを終え、晴れやかに第二の人生をスタートさせた斎藤佑樹さん。紆余曲折のプロ野球人生を振り返りつつ、今後楽しみにしているという新たな野球との関わり方についても語ってくれた。

【大人たちのプロ野球2022】斎藤佑樹がの画像_1

久々に、いち野球好きに戻りました。今年は12球団の球場巡りがしたいです!

斎藤佑樹さん
斎藤佑樹 1988年群馬県出身。早稲田実業高のエースとして2006年夏の甲子園を制覇。「ハンカチ王子」の愛称で全国区の人気者に。早稲田大を経て’10年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。’11年4月17日にプロ初先発初勝利。昨季をもって現役を引退し、「株式会社斎藤佑樹」を設立。

僕がいたプロ野球、これからのプロ野球


―少年時代はプロ野球という世界をどう見ていましたか?

 とにかく華やかなイメージが強かったですね。特に僕は群馬県出身ということもあってテレビで見られたのはジャイアンツの試合がほとんど。長嶋(茂雄)監督の時代で、投手は斎藤雅樹さんがすごく印象に残っています。ショートが川相(昌弘)さん、セカンドに仁志(敏久)さん、センターはたしかシェーン・マックでした。

―「プロ野球選手になる」ことをはっきりと目標に定めたのはいつ頃?

 まず甲子園に出たいと思ったのが先です。小学4年の頃に松坂(大輔)さんのピッチングを見て明確にその気持ちが生まれました。プロ野球を本格的に意識し始めたのは高校3年の頃ですね。

―斎藤佑樹さんと甲子園、といえば2006年夏。田中将大選手擁する駒大苫小牧高校を決勝で破って優勝投手になられたわけですが、その後プロではなく大学進学を選ばれた理由は?

 ずっと両親から「文武両道」であれと教えられてきましたので早実(早稲田実業高校)に入る前から大学を見据えていましたし、早慶戦で鳥谷(敬)さんや青木(宣親)さんらの活躍を見て自分もいつか神宮で試合がしたいなって。高校で甲子園、大学で神宮、そこからプロという道を描いていました。

―大学時代、先にプロで活躍する同世代の選手たちをどう見ていましたか?

 うらやましさや焦りはありましたが、大学4年間で彼らに劣らない技術と体力を身につけて自分もプロに挑戦したいという揺るぎない思いがありました。

―そして2010年、運命のドラフト。

 あの日のことは今でも鮮明に覚えていますね。大学3年の頃からロッテとヤクルトが指名を公言してくれていて、スカウトの方が頻繁に練習を見に来てくださっていたのでどちらかの球団に行くんだろうなと思っていたところ、想定外だったファイターズから指名されてクジで引かれたという。まさかという感じでしたね。

―「スポーツの地方興行と観客動員の地域の中での経済効果」をテーマにした卒業論文に、北海道日本ハムファイターズについて書かれていたとか。

 そうなんですよ。当時からスポーツビジネスにすごく興味があって、中でもファイターズの2004年の北海道移転とその成功をロールモデルとして重点的に調べていましたので、指名されたときはすごい縁だなと思いました。

―夢だったプロ野球。入ってみて、率直にどんな世界だと感じましたか。

まずキャンプのブルペンでダルビッシュ有さんの投球を見て「やばいところに来ちゃったな」と。野手陣も稲葉(篤紀)さんに金子(誠)さんに糸井(嘉男)さん、陽岱鋼さんとすごいメンバー。それこそ練習で変化球が簡単に見切られるんです。シーズン初登板はロッテ戦。最初の打者から三振を取って「いけるかもしれない」と思ったところで、現ロッテ監督の井口(資仁)さんに自信をもって投げた外角低めのボールを右中間に打たれてホームラン。これがプロの一流打者なのかと。運よく勝利投手になりましたが、投球スタイルをガラッと変えないと通用しないことを痛感させられました。モデルチェンジの難しさというのは現役を通して感じていましたね。

【大人たちのプロ野球2022】斎藤佑樹がの画像_3
©産経新聞社

―栄光も挫折も味わい、けがにも苦しめられた11年間のプロ野球生活。何が斎藤さんの原動力だった?

 何よりファイターズが最後まで挑戦させてくれたこと、ファンの方々が応援し続けてくれたことへの感謝の気持ちが原動力でしたね。おかげでつらいことが多い中でも野球がやれる喜びをずっと感じられていましたし、何年目になっても「どうやったら打者を抑えられるんだろう」という探求心を失うことはなかったですから。

―ファンやメディアから心ないバッシングをされることもありました。

途中から自分の記事をシャットアウトしていたのでそれほど気にしていなかったですね。それにプロ野球は興行。盛り上がるためには周りからの叱咤激励は必要だと思っていましたので。

―プロ野球とファンのつながりを感じた印象的な出来事はありましたか?

 ファイターズのファンは3ボール2ストライクやピンチになると一斉に拍手でもり立ててくれるのですが、その温かいスタイルがすごく好きでした。一方ビジター、特に甲子園での阪神戦はどんなキツイ言葉が飛んでくるのか戦々恐々でしたけれど、でも実際に野次られてみると意外とシャレのきいた言葉が多くて。あるときスタンドから僕が振り向くまでひたすら「ゆうちゃん、ゆうちゃん!」って呼び続けていた方がいらっしゃったんですけど、それが普通に友達を呼ぶようなトーンで面白かった(笑)。これもまたプロ野球の風物詩なんだなと思いました。


斎藤佑樹さん 手 斎藤佑樹さん

日本のプロ野球は、この数年で格段にレベルアップしていると思います。

投手の技術に関する話題になるとつい熱が入る。現役を引退しても根っからの野球好きは変わらない。「近年はボールの『スピン量』に注目されることが多いですよね。例えば現役時代の藤川球児さんの『火の玉ストレート』は回転数がすごいから打てないと皆さんよく言われますが、実はそれだけではなくてボールを握る手の角度が傾かずに垂直だからホップして見えるんです」。


―斎藤さんがプレーされた11年の間で感じたプロ野球の進化、また変わらない古きよき文化としての魅力とは?

 ここ数年で、特に打球の角度や回転数などを動作解析して数値化できるトラックマンやホークアイが普及したことで野球そのもののレベルが格段に上がりました。そのあたりに注目してもらえると野球の見方がもっと深まるのかなと。逆に、投手なら三振を取る、ピンチを抑える、打者ならホームランを打つ、そういった喜びを球場という共通空間で選手とファンが一緒に味わえるプロ野球の醍醐味は今も昔も変わっていないんじゃないでしょうか。

―これからは外からプロ野球を見ることになります。そこに向けて楽しみにしていること、また「株式会社斎藤佑樹」でやりたいこととは。

 会社は「野球未来づくり」がコンセプト。野球はもっといろんな角度から楽しめると思うので、僕自身が興味のあるDX(デジタルトランスフォーメーション)を駆使してこれまでにない視点で新しい面白さを伝えていきたいなと考えています。いちばんの夢は野球場をつくること。例えば野球ファンじゃない人でも「カフェに行こう」「図書館に行こう」というような感覚で気軽に行ける球場があってもいいなとか、まだふわっとしていますがいろんなイメージを考えています。その点でも2023年にオープンするファイターズの新スタジアムはすごく楽しみです。

―今季は各球場に足を運びますか?

 大学の同期の福井(優也)を応援しに楽天の試合に行きたいですし、12球団のホーム球場を回りたい気持ちもあります。とはいえ初めていろんな球場のスタンドにいち野球ファンとして行くことになりますので、どんな楽しみ方があるのかとか、どこどこのあれがおいしいとか、むしろファンの方からいろいろ教えてもらいたいですね!


いちばん大きな夢は、誰でも気軽に立ち寄れる 「今までにない野球場をつくる」こと。

「プロ野球ファン」としては初心者。 自分なりにいろんな楽しみ方を見つけたい。

斎藤佑樹さん
「プロ野球界で培ったつながりを大切にしつつ、これからは野球界以外の方々との出会いも生かしながら『それ面白そうだね』と言われるような仕事で野球界に貢献したい」と、セカンドキャリアへの抱負を語る斎藤さん。ジャケット姿が早くもサマになっている。 ジャケット¥143,000/ラルディーニ(ビームスF) その他/私物

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Composition&Text:Kai Tokuhara

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