2020.05.22

ジェーン・スー×高橋芳朗愛と教養のラブコメ映画講座Vol.26『31年目の夫婦げんか』

“心のすれ違い”を感じている夫婦必見! 長年連れ添ってきたカップルが直面するであろう問題をとてもリアルに、かつ面白おかしく描いた作品を紹介します。

ジェーン・スー×高橋芳朗愛と教養のラブコの画像_1

「まるでふたりの労働者が一緒に暮らしているみたい。二段ベッドに寝ているような。家があるだけで、他に何も絆がないみたい」ーーケイ


結婚31年目を迎えた夫婦の“リアルな”心のすれ違いを描く

ーー取り上げるのは『31年目の夫婦げんか』(2012年)です。今回はスーさんご推薦の映画ですね。

ジェーン・スー(以下、スー):ずっと観たかったんですよ。すんごい良くて、泣き過ぎで頭が痛くなったほど! 間違いなくラブコメ映画なんだけど、笑ってやり過ごしてはいけないことがたくさん詰まってる。ヘビーという意味ではなく、ガツンとくるものがありました。UOMO読者に、なんとしてでも観て欲しい1本!

高橋芳朗(以下、高橋):いやー、めっちゃ良かった! コメディに寄りすぎず、でもシリアスすぎず、絶妙なバランス感覚だったね。では、まずはあらすじから。「変わりばえのない毎日を送る結婚31年目の夫婦、ケイ(メリル・ストリープ)とアーノルド(トミーリー・ジョーンズ)。もう一度人生に輝きを取り戻すため夫婦関係を見つめ直そうと思い立ったケイは、アーノルドを無理矢理一週間の滞在型セラピーへと連れ出す。だが、いざカウンセリングがスタートするとセラピストのフェルド医師(スティーヴ・カレル)より予想もしなかった“宿題”を出されてふたりは困惑。そんななか、初めて感情をさらけ出していくケイ。抵抗を示していたアーノルドも次第に本心を打ち明けはじめるが…」というお話。監督は『プラダを着た悪魔』(2006年)やドラマ版『セックス・アンド・ザ・シティ』シリーズなどのデヴィッド・フランケル、脚本は『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017年)のヴァネッサ・テイラー。

スー:なるほど、そりゃテンポが秀逸なわけだ。冒頭の、妻のケイから見た夫アーノルドの問題行動をあげつらう手腕が鮮やか過ぎて脱帽。あからさまな説明は一切なしなのに、最初の7分でこの夫婦が抱えている問題とテーマがはっきりとわかるじゃない? 「朝ごはんを出す妻、礼も言わずに新聞を読みながら食べる夫」「家族ディナーで、作っていないのに偉そうに最初に取り分ける夫」「ディナーを片付ける妻、ゴルフ番組を観ている夫」「寝室がバラバラで、妻の提案を受け入れない夫」。でも、ケイは怒った表情なんか一切見せない。あきらめて受け入れているの。それを定点観測のようにポンポンポンと見せてくるのよね。だけどケイにも我慢の限界があって…。

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高橋:冒頭のふたりのやりとりがいきなりすごい。ケイがアーノルドの寝室に入ってきて意を決して「今夜ここで寝るわ」と言うと、それに対するアーノルドの返答が「エアコンがぶっ壊れたのか?」って(苦笑)。 スー:あの場面を見て「これはいい映画に違いない!」って思ったわ。あんなに一気に端的に、そして静かに、かつ自然に「完全にすれ違ってる夫婦」を描いてくるなんて。 高橋:味わい深いセリフも多くて、メモをとるのがたいへんでなかなか前に進めなかったぐらい(笑)。 スー:ぜひ教えて欲しいわ。 高橋:待って、本当にたくさんあるから。じゃあ、まずはケイのこのセリフからいってみよう。「まるでふたりの労働者が一緒に暮らしているみたい。二段ベッドに寝ているような。家があるだけで、他に何も絆がないみたい」。これは食らったなー。 スー:そこ、私もメモした。中年以降でパートナーのいる人なら、あれは食らう確率高いよー。「絆が消えると、相手にどうアプローチしたらいいかわからなくなるものです」っていうケイのセリフと合わせてね。 高橋:あとはこれもケイのセリフで「失くなったものを考えると悲しくなって考えることをしなくなった」。それからこれ。「幸せは求めるものでしょ? 子どもたちが独立したら? いつも何かを楽しみにするものよ。ある日その楽しみがもうないのに気づく。でも、私はこのまま下り坂になるのは嫌だったの」。 スー:「セックスじゃなくて愛が欲しい」っていうセリフも…。 高橋:アーノルドが困惑しながら「浮気もしないで正しく生きてきた。この31年間はなんだったんだ!?」と吐露するのもインパクトあった。それに対してケイは「心が通わずに同居しているぐらいなら、ひとりの方が寂しくないと思います」と。 スー:アーノルドにとっては青天の霹靂なのよね。グレイソン・ペリー著の「男らしさの終焉」っていう本があるんだけど、「壊れていないなら直すなよ」が男の精神と書いてあって、まさにこれ! って思った。壊れないように日常に絶え間なく油を指すケイと、その苦労を知らず「壊れてないだろ?」とばかりに無関心をまき散らすアーノルド。 ーー役者陣も演技派な方だったので、余計に刺さるものがありましたよね。 スー:メリル・ストリープとトミーリー・ジョーンズだからこそ、ここまで深いものになったのかもしれない。結婚カウンセラー役のスティーヴ・カレルの抑えた演技もよかったし。
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高橋:うん、すごくよかった。あの人がシリアスなドラマに出てくるとなんかやらかしそうでいつもひやひやするんだけど(笑)、これは『フォックスキャッチャー』(2014年)にも迫る名演だと思うな。 スー:それでいて、ちゃんとラブコメ映画なのよ。むやみやたらに重くない。ユーモアはそこかしこにちりばめられているし。とはいえ、ラブコメ映画のステレオタイプ的な場面でつないでいくわけでもない。たとえば、カウンセリングシーン自体はそんなに派手ではないのよね。カウンセラーの前での大ゲンカもないし、そもそもカウンセリングシーンの時間もそんなに長くはない。 高橋:カウンセリングシーンは、照明やケイとアーノルドが座る位置にも注目だね。ふたりのそのときどきの心情や互いの心の距離がほのめかされてる。 スーまさに! ケイとアーノルドの座り位置のことでしょ? ケイに近づいたり離れたりしてるのはアーノルドの方だけなんだよね。ケイはずっと同じ位置なの。妻は安定しているの。不安だと攻撃的になる人っているよね。アーノルドは何が起こるのかわらかず不安だから、終始不機嫌なわけじゃん。最初ケイからカウンセリングを受ける提案をされたら、まともにとりあわず女性ホルモンのせいにしたり。アーノルドは全部、他人のせいなんだよ。 ーー男女の心情がうまく描かれてるんですね。では、印象的なシーンはいかがでしょう? スー:カウンセリングの“宿題”で、ケイとアーノルドが抱き合って同じベッドの中で目覚めた最初の朝の場面。あれはいいシーンだった。 高橋:あー、ケイの幸せそうな表情がたまらないんだよな。 スー:そうなのよ。ケイはウブなんだよな。不満はあるけれど、アーノルドのことが大好きなのが端々からわかる。 高橋:軽く震えたのは、カウンセリング中に口論になってケイが泣きながら外に飛び出すシーン。あそこで流れるレイチェル・ヤマガタの曲のタイトルが「I Don’t Want to Be Mother」なんだよね。すごい選曲! スー:音楽にも工夫がこらされていた。ホテルで流れるアル・グリーンの「Let’s Stay Together」。そこからの…ギャー! ってなる出来事。男性としては、いかがでした?
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「浮気もしないで正しく生きてきた。この31年間はなんだったんだ!?」ーーアーノルド


高橋:まさに「ギャー!」ってなった(笑)。やっぱりここでもすんなりとはいかないんだよなー。

スー:ね。この作品が素晴らしいのは、最後までふたりがうまくいくかどうかわからないってところ。「ポスターを見ただけで誰と誰がくっつくかわかる」でお馴染みのラブコメ映画のくせに!

高橋:そうそう! 派手さのないいぶし銀の演技と演出なんだけど、なぜかめちゃくちゃスリリング!

スー:アーノルドは自分自身に向き合っていなかったんだよね。これはケイじゃなくて、アーノルドの映画。物語の解像度が高くて、演出の明度も彩度もバキッとしてる私好みのラブコメ映画だけど、ここまでウェルメイドなのはなかなかない。

高橋:いやホント、ウェルメイドって表現がいちばんしっくりくる。やるべきことを過不足なく着実にクリアしていったプロのお仕事。

スー:少ししか出てこなかったけど、アーノルドと同僚の会話も男のステレオタイプながら良かったよね。このちょっとしたステレオタイプ具合が、適度なラブコメ映画の温度を作り上げてるとも言える。

高橋:結婚生活に失敗したアーノルドの同僚の「妻に花でもネックレスでも贈っておけばよかった。そうすればいまごろ独り暮らしはしていなかった」というぼやきも妙に印象に残ってるな。結局アーノルドはこのひとことでセラピーに応じることを決意する。

スー:あそこもアーノルドの間違った男らしさだよね。妻の心からの言葉より、同性の同僚の言葉の方が響くんだもの。「自分が信用している同性の言葉なら聞く」ってやつよ。けどさ、アーノルドはなんであんなに日常生活に無関心でいられたんだろう?

高橋:自分はやるべきことはやっている、という自負があるんだろうね。

スー:なるほどね。仕事はちゃんとやってるし、浮気はしてないし、文句ある? って感じだったもんね。すごく的を射た意見!

高橋:「いったいなにが不満なんだ?」って、ずっと頭上にクエスチョンマークが浮かんでる感じだよね。

スー:ケイが不安を口にすると、アーノルドは即座に人格否定されてると思っちゃうんだよね。どうですか、既婚者として思い当たるフシはございますか? フフフフ。

高橋:あるある(笑)。でもまあ、この自粛生活のお陰で以前より互いの理解は深まったかもしれない。どうしたって話す機会が増えるからね。

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スー:UOMO読者世代の男性は、時代のせいもあって家の中で妻(つまり母親)が夫に大事にされている場面を見たことがない、という人も少なからずいると思う。だから、大事にするやり方を知らないんだよね。仕事さえしていればいいでしょう? っていうのが親の世代だから。 高橋:そうだね。「これだけ汗水流して働いて家族を養って、もうそれだけで十分すぎるぐらいだろ?」って。 スー:それはアーノルドからも感じられたね。カウンセリングのシーンでひとりで爆発してたもんね。 高橋:アーノルドは「俺は正しく生きてきた!」と豪語してるからね。 スー:そうね。あんたが仕事ばっかやって正しく生きられたのは、ケイのサポートと理解があったらでしょ! ってのがわからない。その正しさは、誰と共有された正しさなのか、っていうのがポイント。少なくともケイとではない。 高橋:男社会の規範に沿って、そこから外れないように正しく生きてきた? スー:そうね。男社会で負けないように、だね。恐ろしいことを描いているな、この映画(笑)。あと、この映画の原題『Hope Springs』。カウンセリングの地区がこの名前という設定だったけど、調べたらHope springs eternalで、《希望は人間の胸に永遠にわき出る》(=Hope springs eternal in the human breast.)っていう意味なんだって! 映画をひと言で言い表してるわ。 高橋:昔に戻る必要はないんだよね。新しい関係を築けばいい。それにはちょっと勇気をもらったな。まさに「希望の泉」だよ。 スー:昔に戻る自信がないってケイは言ってたけど、そういうことじゃないもんね。ネタバレになるから詳しくは書けないけど、ラストの素晴らしさと言ったら!!! 高橋:ふたりの新しい人生を祝福するように流れてくる音楽がまた最高! 人気曲だからあえて曲名は伏せておくけど、サビの歌詞は「たくさんの涙を流してきた。心のなかに大きな痛みを抱えて。でもベイビー、終わってしまうまで終わりじゃないんだ」。そして、とどめを刺すケイのセリフが「あなたとの余生を考えたとき、唯一残念なのは先があまり長くないこと」って…もう爆泣だよ! スー:ねーー。鳥肌たった。号泣だった。このふたりって、50代後半の設定だよね? なのに、ちゃんとセックスに夫婦で向き合ってるのがすごいなって思った。まさにUOMO読者に勧めたい一本!

『31年目の夫婦げんか』

監督:デヴィッド・フランケル
出演:トミーリー・ジョーンズ、メリル・ストリープ、スティーヴ・カレル
公開:2013年7月26日(日本)
製作:アメリカ

Photos:AFLO

ジェーン・スー

東京生まれ東京育ちの日本人。コラムニスト・ラジオパーソナリティ。近著に『これでもいいのだ』(中央公論新社)『揉まれて、ゆるんで、癒されて 今夜もカネで解決だ』(朝日新聞出版)。TBSラジオ『生活は踊る』(月~金 11時~13時)オンエア中。

高橋芳朗

東京都港区出身。音楽ジャーナリスト、ラジオパーソナリティ、選曲家。「ジェーン・スー 生活は踊る」の選曲・音楽コラム担当。マイケル・ジャクソンから星野源まで数々のライナーノーツを手掛ける。近著に「生活が踊る歌」(駒草出版)。

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