社会的地位が男女逆転した世界に迷い込んでしまったら…。全世界の男女に観てもらいたいと熱く語る二人の見解に納得です。
現実世界を突きつける男女逆転の世界
——今回紹介するのはフランスのNetflix(ネットフリックス)オリジナル作品『軽い男じゃないのよ』(2018年)です。
高橋芳朗(以下、高橋):はたして、この映画を今まで紹介してきた作品と並列に「ラブコメ映画」として紹介していいものなのか…僕らが提唱しているラブコメ映画の4つの条件、1)気恥ずかしいまでの真っ直ぐなメッセージ、2)それをコミカルかつロマンティックに伝える術、3)適度なご都合主義、4)「明日もがんばろう!」と思える前向きな活力、これらを満たしているかというとかなり怪しいよね。
ジェーン・スー(以下、スー):もー、ほんとに驚いた。なんだこの映画は。真っ直ぐなメッセージをゾッとするようなファンタジーに混ぜてくるし、コミカルながらも思わず「今の、笑ってよかったの?」となっちゃうエピソードの連発。ある意味ホラーだし、ラストまで適度なご都合主義もないんだよね。「明日もがんばろう!」というよりは、「明日も戦わなきゃ!」という気持ちになる。だけど話の大筋や設定は完全にラブコメなのよ。「男女の世界が逆転しちゃった! さあ大変! 気になるあの子が高慢チキな男の子に!?」って感じだもの。あーもーとにかくひとりでも多くの人に観て欲しい。こんな映像体験なかなかないし。ネットフリックスが観られるカードがあるなら、街中で配って歩きたいぐらいだよ。
高橋:では、ひとまず映画のあらすじを。「高慢な女たらしの独身男ダミアン(ヴァンサン・エルパス)は、ある日街で頭を打って気絶したことをきっかけに不思議な世界に迷い込む。そこは女性が社会の中心で活躍して男性は差別的な扱いを受けながら家事や子育てに従事する、男女逆転の世界だった。ダミアンは戸惑いを覚えながらも傲慢な女流作家、アレクサンドル(マリー=ソフィー・フェルダン)の助手として働き始めるが…」というお話。正直、このあらすじを読み上げている時点で頭を抱えてしまうよね。だって「そこは女性が社会の中心で活躍して男性は差別的な扱いを受けながら家事や子育てに従事する、男女逆転の世界だった」ってさ、今のこの世の中がいかに狂ってるかってことでしょ?
スー:男女の設定を逆にしただけなのにね。結果的に、女を取り囲む現状が如何にキツいか、気づきたくないレベルまで気づいちゃった。
高橋:映画が始まって、ダミアンがポールに頭を痛打してパラレルワールドに迷い込むまでの10分。この10分のダミアンの振る舞いが以降の展開の前振りになっているんだけど、マチズモ/ミソジニストのヤダみが凝縮されていてうんざりする(苦笑)。
細かな描写が秀逸すぎる
——全てのシーンが刺さるということでしたが、特にここはすごいなと印象深かったシーンはありますか?
高橋:すごく些細なところなんだけど、ジェンダーが逆転した世界にダミアンが入り込んだ直後、彼が穿いてるスウェットパンツのお尻のところにピンク色で「HOT」って文字がプリントされてるんだよ。これは映画の序盤のシーンなんだけど、もうそこだけで相当手強い映画になりそうだなって思った。他にも細かいところを挙げていったらキリがないんだけどさ、パラレルワールドに移行してから最初にギョッとするのは街の景観。もうそこらじゅうに半裸の男性モデルの看板やらポスターやらがあふれてる。確かに男女逆転させたら世の中こういうことになるんだよね。
スー:一部の男たちは「女の体は美しいんだから男とは違うだろ」と言うかもしれないけど、そうじゃなくて「女の体は美しいんだから、公共の場で消費してもいい」と思っている人たちが権力を持っているってだけの話よね。男の裸と女の裸、どっちが美しいかの話じゃない。映画の中のように「男性の体は視覚的な消費物」と思う人の社会的地位が高かったら、街中が男の裸だらけになるってこと。そこで「男の体を消費するな!」と男たちが訴えたとしても「おいおい、なにを怒っているんだい?」と女に苦笑されたり、「キレイなんだから文句言うな!」「おまえの身体には興味ないから嫉妬すんな!」と女から罵声を浴びせられたりする世界。
ジェーン・スー
東京生まれ東京育ちの日本人。作詞家、ラジオパーソナリティ、コラムニスト。現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」(月曜~金曜 11:00~13:00)でパーソナリティーを務める。近著に「私がオバさんになったよ」(幻冬舎)。
高橋芳朗
東京都港区出身。音楽ジャーナリスト、ラジオパーソナリティ、選曲家。「ジェーン・スー 生活は踊る」の選曲・音楽コラム担当。マイケル・ジャクソンから星野源まで数々のライナーノーツを手掛ける。近著に「生活が踊る歌」(駒草出版)。