2023.12.14
最終更新日:2024.05.01

結婚に悩むアラサー男女の肥大化した欲求をリアルに描く【ジェーン・スー&高橋芳朗 ラブコメ映画講座 #61『きっと、それは愛じゃない』】

お見合い結婚を選択した男性、自由恋愛を求める女性。男女それぞれのエゴが入り混じる作品にふたりは何を思うのか。

【ネタバレ注意】
こちらの記事は紹介作品のネタバレを含みますので、未見の方はご注意ください。

『きっと、それは愛じゃない』(2023年)

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――だいぶご無沙汰してしまいました。今回は劇場最新作『きっと、それは愛じゃない』です。いかがでした?

ジェーン・スー(以下、スー):久しぶりの新作ラブコメ映画として、私はすごく好きなタイプの作品でした! と同時に、考えさせられることもいろいろあったな。

高橋芳朗(以下、高橋):うん。この仕上がり、さすがは『ノッティングヒルの恋人』(1999年)や『ラブ・アクチュアリー』(2003年)でお馴染みのワーキング・タイトル社製作なだけはあるね。では、まずはあらすじから。「ロンドンでドキュメンタリー監督として活躍するイギリス人のゾーイ(リリー・ジェームズ)は、久しぶりに再会したパキスタン人の幼馴染で医師のカズ(シャザド・ラティフ)から『見合い結婚をすることにした』と報告を受けた。『なぜ、今の時代に親が選んだ相手と?』と疑問がたちまち好奇心へと変わり、カズの結婚までの軌跡を次回作として追いかけることに。『愛もなく結婚できるの?』とカズに問いかけるゾーイ自身は、運命の人に出会えると信じてきたが、ピンときては“ハズレ”と気づくことの繰り返し。そんな中、条件の合う相手が見つかったカズは、両親も参加するオンラインでお見合いを決行。数日後、カズから『婚約した』と報告を受けたゾーイはカズへのある想いに気づいてしまい…」というお話。ちなみに、この映画の原題は『What’s Love Got to Do with it』(それと愛がどんな関係があるの?)。ティナ・ターナーが1984年に放った大ヒット曲の引用だね。

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※以下、ネタバレ含みます。

スー:「好きな人が夢中になったのは自分ではない別の女性、私はただの女友だち」という設定は80年代の王道ラブコメ映画『恋しくて』(脚本/ジョン・ヒューズ 監督/ハワード・ドイッチ)を彷彿とさせるけれど、今回は見合い結婚という制度への疑念がサブテーマとして存在してる。要するに「当人同士が愛し合うことこそ至高」というロマンチックラブ・イデオロギーが、主人公の決断に対するアンチテーゼとして作用してるってことよね。だってロマンチックラブ・イデオロギーってまさに、ラブコメ映画の屋台骨だもの。これを揺るがすものは敵よ。でもそれは近代の西洋的価値観に基づいているわけで、欧米諸国とは異なる価値観を尊ぶ国にとっては「なんのこっちゃ」となる場合もある。だからロマンチックラブ・イデオロギーを善とすることに、不服を申し立てる人がいるであろうことも、ちゃんと気に留めておかねばと思った。強制力はなくとも、日本にはまだお見合い結婚があるので他人事ではないし。

高橋:“自由恋愛vs.お見合い結婚”をテーマにした映画はいくつかあると思うけど、やっぱり前者を礼賛する方向でストーリーが展開していくケースが大半で。ともすれば、お見合い結婚をネガティブに扱ったりしかねない勢いだよね。でも、この映画はそんなロマンチックラブ・イデオロギーに巧みに揺さぶりをかけてくる。お見合い結婚をしたカズの家族の磐石の安定感と自由恋愛派のゾーイの防衛線張りまくりな混乱ぶりとの比較が絶妙なんだよ。またゾーイの自堕落な恋愛をディズニープリンセス調のモノローグで見せていく演出が効果抜群で。

スー:子どもの頃にさんざん刷り込まれた夢物語と、大人になってからの現実の対比が見事だったね。あとさ「ティンダーとお見合い、何が違うの?」が話題になるシーンがあったけど、「自分で相手を決めるが選択肢が多すぎるティンダー」「親が相手を決め、当事者に選択肢はないお見合い」という決定的な違いはあるものの、相手を条件で見るという意味ではマッチングアプリもお見合いと変わらない側面があると思った。

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高橋:そのくだりぐらいから「ラブコメ映画の屋台骨」が本格的にぐらつき出す(笑)。ゾーイがお見合い結婚の良さとして「お互い真剣交際を恐れていないこと」を挙げていたけど、確かにそれは一理あるなと。ゾーイ自身、姉ヘレナ(アリス・オル=ユーイング)の夫が浮気をしている現実を目の当たりにしていよいよカズの考えに傾いていくことになるからね。「もしかしたらお見合い結婚のほうが楽なのかも?」って。

スー:現代のマッチングアプリには不埒な人も大勢いるみだいだけどね(笑)。一度は「お見合いのほうが楽なのでは?」とカズの考えに傾いたゾーイだったけれど、実際にカズが別の女性と婚約したとなると「やっぱり、この制度はおかしい」って考えを改める。お見合い結婚に対する疑問を装ってるけど、本当は自分が無自覚にカズに惹かれているから抵抗を感じるんだよ。大事な友だちに間違った選択をしてほしくない、という思いの中には巨大なエゴがある。

高橋:ゾーイは最終的にカズに対して「愛なしに結婚しないで!」と迫るんだけど、やっぱりそれはまったく説得力がなくて。カズの「クズを10人選んだら自分を振り返るべき!」との切り返しはあまりに手厳しいけど、彼女が抱える問題の本質を見事に突いていたよね。ゾーイは母親の紹介で知り合った獣医師のジェームス(オリヴァー・クリス)に対する態度も最悪だった。彼と惰性で交際した挙句「悪くなければそれで十分なときもある」なんて言い出す始末。

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スー:カズにショックなことを言われてやぶれかぶれになる気持ちもわからなくはないけど、あれはダメよ。他者を自分と同じ人間としては見ていないってことだもの。ジェームスが真摯な人で良かったよ。自分が惹かれるのはいつもダメ男だから、カズのように親の言う通りにしてみようと思ったんだろうけど、他人を相手にそれをやってはいけないんだよね。家具選びじゃないんだから。

高橋:「僕は普通でいたくない。君も普通を望んでいないはずだ」というジェームスの主張はもっともすぎる。あれは絶対にやったらダメ。フラれて当然だよ。

スー:あれを「フラれた」って言うのはゾーイの傲慢だよ。ゾーイ、この連載で取り上げた『わたしは最悪。』(2021年)の主人公ユリアに続くダメ30代女だよ。とはいえ、アラサー女性には身に覚えがある人もいるだろうから、かなり刺さるんじゃないかな。ところで、男性から見て、カズの考え方や行動はどうだった? 刺さるところあった?

高橋:ゾーイとの対比もあって、物語が進行していくにつれてカズの言動が説得力を帯びていくようなところはあった。「情熱や相性と呼ばれるものは一番ではない」みたいな物言いには抗いたくもなるんだけどさ。

スー:カズはカズで、いままで隠していたエゴが肥大化してくるよね。なにも知らない年下の、簡単に御しやすいと思っていた婚約者マイムーナ(サジャル・アリー)が“そうではなかった”とわかったときのカズの狼狽えといったら! 真っ白な彼女を自分色に染め上げようと思っていたら、マイムーナにはちゃんと自我があった。思ってたのと違ったから狼狽えたってことじゃん。カズは隠れマッチョだなと思った(笑)。男性として、あの「裏切られた…!」に近い表情はどう? 我がこととして理解したり、身に覚えはある?

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高橋:うん。特に恋愛初期は自分のいいように相手のイメージを作り上げちゃうこともあるからね。なのでカズの動揺ぶりもまったく理解できないわけではない(苦笑)。

スー:あの演出はすごくうまいなって思った。カズにも傲慢なところがあるのを上手に表現していたよね。なにはともあれ、マイムーナが一番の被害者なのよ。と同時に、マイムーナの将来の夢が人権弁護士なのは、西洋的価値観の傲慢さでもあるようにも思う。お見合い婚が非人道的だと暗に言いたいわけだから。

高橋:マイムーナがカズにとある秘密を明かしたときに露呈する彼女のお見合い結婚観は、ここに至るまでに積み上げてきた議論を考えるとあまりに一面的でちょっとモヤモヤするものがあった。クライマックスに向かっていくにつれ、そういう傲慢さが目立ってくるのは否めないよね。

スー:お見合いから本当に愛し合った人たちも少なからずいるだろうに、そこをないことにしてるわけだからね。ゾーイとカズが最後にくっつくのは、それはそれとして素敵なラブコメ映画だし、ふたりのキスシーンはラブコメ映画史上5本の指に入るくらい観てるこっちが照れちゃういいシーンなんだが…。ふたりが「くっつくこと」は、そこまでビッグイシューではないという気もしなくもない。その手前に、それぞれの個々の重要なことが描かれているから。

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――例えば、どういうことでしょう?

スー:お見合い結婚に否定的なゾーイに、カズは「(イギリス生まれなのに)あなたはどこの出身?と毎週誰かに尋ねられることがないゾーイにはわからない」って答えるシーンがあったじゃない? 英国で生まれ育っても、外見だけでそうとは認めてもらえない移民が、同じ人種、同じ宗教、同じ文化を持つ相手と結婚することを優先する動機として、私には十分理解できる答えだった。自分たちの文化を守り、疎外感を持たずに済むコミュニティを形成したいという欲望は否定できないよね。と同時に、西洋的価値観で育ってきたはずなのに、結局は親世代の家父長制に則った考えで相手を選んでしまうカズのリアリティというか、生々しさにもウッとなったな。他方、自分に自信が持てず、ロマンチックラブ・イデオロギー信者のフリをしてダメ男ばかりを選んだり、まったくときめかないけど安心できる男と付き合ったりしてしまうところがゾーイの生々しさ。それぞれのエゴが比較的丁寧に描かれているところが白眉なので、別にふたりがくっつくエンディングにしなくてもいいのになとは思った。

高橋:ゾーイのリアルはジェームスと交際していたときに漏らした「現実主義と情熱の間に永遠の幸せがある」というセリフにあるのかも。一方、ムスリムであるカズのリアルは隣人のゾーイに突きつけた「47番地と49番地は別の大陸」のひと言に集約されていたと思う。

スー:欧米諸国では特に、ムスリムかそうでないかで人生が大きく変わってしまうと思うので、大陸が異なるという表現は言い得ているよね。「愛以上に大切なものがある」という考え方は宗教に基づいているわけだし、軽々しく否定はできないよ。お見合いのことを“3Dハラルティンダー”と揶揄できるくらいカズも西洋化されてはいるものの、「テロのたびに申し訳ない気持ちになったことがあるか?」とゾーイに迫る場面をみると、部外者が彼の選択にケチをつけることもできない。同じ街に暮らしていても、日々抱えているものが違いすぎるのよ。息子の相手として「ピンとくるかより条件」という父親の発言はなかなか痺れましたが、頭ごなしに否定はできない…。

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高橋:通して観たあとに振り返ってみるとよくわかるんだけど、あの結婚相談所のくだりはカズの両親が無茶苦茶言ってるようでいてムスリム社会の現実がうまく忍ばせてあるんだよね。そういえば映画の冒頭、バスの車中でゾーイと電話しているカズが「ムスリム」と口に出した途端に白人の乗客から睨まれるシーンがあった。

スー:そうそう、まさに日々のああいう小さなことの積み重ねなんだと思うよ。ありのままでいられる同じバックグラウンドの人たちと一緒にいよう、という気持ちになるのは理解できる。パキスタン出身のカズの両親が結婚相談所の担当者に言う「同じムスリムでもインド人はダメ!」という条件だって、両国がいまだ対立関係にあるという歴史を情報としては知っていても、体感的には理解ができないのが私たち「その他大勢」なんだから。だからこそ、安直に「見合い結婚なんて時代錯誤!」とは言えない。

高橋:以前にパキスタン出身の男性コメディアンとアメリカ人女性のカップルが結婚に向けて文化の違いによるさまざまな障壁を乗り越えていく『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』(2017年)を取り上げたことがあったけど、ちょっと見比べてみたくなってきた。あれは実話の映画化だったよね。

スー:改めて、『ビッグ・シック』を観直したいね。『ビッグ・シック』には、当事者に対するきめ細やかすぎる目くばせがあった気がするんだよね。両側の文化に対する敬意と配慮…。遠慮といったほうが適切かな。こっちは異様に生々しい。文化の違いを誇張する装置としてのカズの両親や祖母だけでなく、セリフがひとつかふたつしかないモブがヒヤッとするようなことを言うのよ。

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高橋:ちなみに、監督のシェカール・カブールはパキスタン生まれのパキスタン人。脚本を手掛けたイギリス出身のジェミマ・カーンに関しては、20代のころにパキスタン前首相のイムラン・カーンと結婚して10年ほど現地で過ごした経歴がある。それぞれの実体験が落とし込まれているからこそのあの生々しさなんだろうな。

スー:ところで、ゾーイの母キャス(エマ・トンプソン)のことを忘れちゃいけないわ。映画開始早々、カズの家族に対して“エキゾチック”っていう不適切な言葉を使ったり、パキスタン出身の彼らのことをムスリムには見えないとか、ギリシャやイタリアっぽいと言ったり、こっちはこっちでヒヤッとする。悪意はないけど異文化に対する教養がなく、軽率なところが生々しい(笑)。でもキャスを演じたのがエマ・トンプソンだったからこそ嫌な感じにならずに済んだんだとは思う。

高橋:彼女の存在はすごく活きていたよね。キャスがいなかったら映画全体がもっと重くシリアスなトーンになっていたかもしれない。自分の生き方に確信を持てなくなったゾーイに「あなたにもあなたの村を見つけてほしい」と言いながらセーターに埋もれた彼女の手を引っ張り出してあげるシーンはぐっときたね。

スー:あれは良いシーン!「インディペンデントであることと、人を遠ざけることは違う。支えが必要だということは弱いということではない、孤独は西洋の病」というセリフも印象に残った。孤独病の唯一の治療方法は、他者を受け入れること。まさに世界に足りてないことだけど、皮肉にもムスリムに対しての世界がそうなんだよな…。

高橋:うんうん。

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スー:「恋愛がうまくいかない、仕事も万全とは言えない、自分に満足しているわけでもない、結婚していないことで半人前な気がする」という人生の踊り場にいるアラサー女性、ゾーイの恋物語と、「親の期待に応えたい、親を悲しませたくない、自国の文化を大切にして砦を作りたい」というカズの物語は交わっているようで実は別々の話なんだと思います。共通しているのは、肥大化したエゴ。これはエゴの話だよね。自分を守るために他者をないがしろにしたり、弱さに向き合いたくないから間違った選択をするエゴの話! 自分で言ってて耳が痛い!

高橋:フフフフフ。ジェミマ・カーンが「現代の厄介さをふたりの主役を通して描き出したいと思った」と語っていたのはそういうことなのかもしれないね。単なる“自由恋愛vs.お見合い結婚”の二項対立にとどまらない奥行きがある。

スー:そしてラストシーン。ネタバレになるけど、勘当同然だったカズの妹が子どもを連れて実家を訪ねてきたシーンでは、思わず涙がこぼれたわ。保守的な家族制度とか家父長制とか本当にムカつくけど、子どもを見てみんなの心が溶ける気持ちはわかる。

高橋:子どもを囲んだカズの家族のショット、めちゃくちゃ美しかったな。それにしても、こういうラブコメの良作が年の瀬にスクリーンでかかるのは久しぶりかもね。ラブコメの基本構造に対する問題提起みたいな話でもあると思うので好事家の皆さんは劇場にぜひ!

『それは、きっと愛じゃない』

監督:シェカール・カプール 
脚本:ジェミマ・カーン 
出演:リリー・ジェームズ、シャザド・ラティフ、シャバナ・アズミ、エマ・トンプソン、サジャル・アリー 
製作:イギリス 
© 2022 STUDIOCANAL SAS. ALL RIGHTS RESERVED. 

『きっと、それは愛じゃない』公式HP

PROFILE

コラムニスト・ラジオパーソナリティ
ジェーン・スー

東京生まれ東京育ちの日本人。老年の父と中年の娘の日常を描いたエッセイ『生きるとか死ぬとか父親とか』がドラマ化。近著に『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』、大人気ポッドキャスト初の公式ファンブック『OVER THE SUN 公式互助会本』など。TBSラジオ『生活は踊る』(月~木 11時~13時)オンエア中。

音楽ジャーナリスト・ラジオパーソナリティー・選曲家
高橋芳朗

東京都出身。著書は『ディス・イズ・アメリカ 「トランプ時代」のポップミュージック』『生活が踊る歌』など。出演/選曲はTBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』『アフター6ジャンクション』『金曜ボイスログ』など。

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