まだ知らない体験や世界を読書は教えてくれる。嶋浩一郎さんの薦める今月の一冊は?
スケベな男が、せつない男で、 物言う男で、チャーミング
西麻布に「だるま」という不思議な店があった。カラオケがあるけど、マイクがない。客はカウンターでモニターに映る映像の歌詞を愛でるのだ。深夜のカラオケで、映像の歌詞にドキッとする体験は誰にでもあるはず。そこは飲みながら、キュンキュンする言葉と出会える酒場だった。ある日、そこで桑田佳祐の詞を眺めたとき、次々繰り出される独創的な言葉の量と振れ幅に衝撃を受けた。エロから政治まで縦横無尽なテーマを、ある時は「あ、ちょいと」なんて落語家のような言葉で、ある時は意味不明のデタラメ言葉で、ある時はダブルミーニングのエロい言葉で綴っていたからだ。著者のスージー鈴木も40を超えたあたりから、桑田の歌詞が心に刺さるようになり、「いとしのエリー」や「ピースとハイライト」など全26曲の歌詞を分析した本書を上梓したという。
あらためて歌詞を読むとデビュー曲「勝手にシンドバッド」からして言葉の才能に溢れていたことに気づく。当時ヒットした「勝手にしやがれ」と「渚のシンドバッド」の組み合わせだけど、ヤンチャなバンドのキャラを表現している。歌詞中の「胸さわぎの腰つき」って組み合わせも意味不明。でもしっかり不安と期待が入り混じった何かが始まる予感を感じさせる言葉になっている。まさに、言葉の錬金術師・桑田佳祐の誕生だ。
著者は元マーケッターだけあって、そこから見るのか!という感じの観察視点が面白い。全編を通じて「果てなき自由の標榜」が桑田音楽の源流で、その歌詞世界は「絶妙なバランス」で成り立っていることを明らかにする。
「女呼んで抱いてもんでいい気持ち」と奔放に歌いつつ、「いつもアンタに迷惑かける俺がばかです」とダメ男を自覚するシャイな一面も見せる。そんなチャーミングな男が「20世紀で懲りたはずでしょう?」と世に一石も投じる。誰にも乗れない波の上で絶妙なバランスをとりながら言葉を紡ぐ。 ああ、こんなハチャメチャにふざけた、セクシーで、思慮深い大人になりたい!
『桑田佳祐論』
スージー鈴木著
新潮社 ¥946
歌謡曲専門家として情報番組でも見かけることが多くなったスージー鈴木が、サザンの26作品の歌詞を徹底分析。最近の作詞家が類似性の高い作品群を生み出す中、桑田佳祐は膨大な言葉を斬新に操り、社会的なメッセージソングからエロソングまで多様な作品を発表。鈴木は熱狂的な野球ファンでもあり、桑田の守備範囲の広さを、まるで全ポジションを一人で守っているようだと評価。