動画配信サービスでドラマを楽しむ人が増えている。ハマってしまい、朝まで観てしまうという人も…。そんな魅力あふれる作品の中からおすすめの1本を紹介する連載。今回は、機密保持のため職場と私生活の記憶を分離させられた人々を描く独創的なスリラー。
会社と私生活の記憶が分離!? 現代ならではの不条理スリラー
職場に入った瞬間、自分が私生活でどんな暮らしをしているかの記憶が一切なくなり、会社を一歩出ると、今度は逆に職場でのあらゆる出来事を忘れてしまう。「奇想」と呼ぶべきアイデアであり、ここまで風変わりなドラマはめったにない。題名の「セヴェランス」は「分離」を意味し、会社員の自分と一個人の自分が完全に「分離」された人々が登場する。
主人公マークが働く謎めいた大企業ルーモン社では、機密保持のため、社員に対して仕事と私生活の記憶を切り離す脳手術を義務づけている。妻を事故で亡くした過去に苦しむマークは、少しでもつらい記憶を忘れる時間をつくるため、この理不尽なルールを受け入れている。だが、反抗的な新入社員の入社を機に、彼と社員たちのバランスは崩れていく…。
人気のない無機質なオフィスでマークたちが取り組む業務は、奇妙な数字を一定の法則で分類することだが、それがいったい何を意味するかは知らされない。会社の外で同僚に出会っても知人であることはわからないし、職場に戻れば自分が既婚者なのか独身なのかも不明となる。一見、突拍子もない設定に思えるが、大きな組織で働いたことがある人なら似たような気分を味わった経験が実はあるのではないだろうか。自分の担当している仕事が全体にどう役立つのかという不安。また、常に職業人としての顔が優先され、私人としての自分には誰も興味をもたない虚しさ。今作はそうした企業社会に従属しなければ生きられない多くの人々の抱く漠然とした苦痛を、強烈にデフォルメして見せつける独創的なスリラーであり、皮肉な笑いに満ちたある種のブラック・コメディなのだ。
例えばこんな場面がある。あまりに不条理な仕事環境に嫌気がさした女性が退職を決意して会社を出るが、翌朝にはまた普通に出社してしまう。外では「辞めたい」という気持ち自体が消えるからだ。こんなにも恐ろしい悪夢があるだろうか。コロナ禍の今、仕事と自分との関係を見直した人は多いと思うが、個人を犠牲にして働くことの意味をあらためて考えてしまうドラマである。
「セヴェランス」
監督/ベン・スティラーほか 脚本/ダン・エリクソンほか 出演/アダム・スコット、パトリシア・アークエット、クリストファー・ウォーケン
俳優・監督として知られるベン・スティラーが新進脚本家ダン・エリクソンのオリジナル・シナリオをドラマ化。謎の企業により職場と私生活の記憶を分離させられた人々を描くスリラー。AppleTV +「セヴェランス」全9話配信中。
宇都宮秀幸
編集者・ライター。ネット配信作品のレビューサイト「ShortCuts」などで海外ドラマの紹介記事を執筆中。TBSラジオ「アフター6 ジャンクション」出演。