まだ知らない体験や世界を読書は教えてくれる。嶋浩一郎さんの薦める今月の一冊は?
羊は群れると従順だけど、 一匹になると意外に強いらしい
松本隆の歌詞を眺めていると、この人はとんでもないマーケッターでもあることに気づく。例えば、松田聖子の’80年代の名曲「赤いスイートピー」。「半年過ぎてもあなたって手も握らない」なんて、「草食男子」という言葉が世の中に登場するはるか10年以上前にそういうメンタリティをもつ男性を歌詞に登場させてみたりね。
ちなみに、これは有名な話だけど、松田聖子が「赤いスイートピー」を歌ったとき、世の中に赤いスイートピーは存在していなかった。後に園芸家が品種改良して赤いスイートピーが誕生したのだ。
どちらも、松本隆の歌詞が世の中の動きを先取りしていることを示すエピソードだ。
また、人と人との距離感を繊細に描く技法にも感心させられる。薬師丸ひろ子の「あなたを・もっと・知りたくて」って曲に、好きな人に電話をかけたとき、ベルを「8つまで数えて切った」って歌詞がある。これ、8つが大事なんだと思う。ほんの数秒の違いなんだけど、6つでも、7つでもなくて8つ。女性と男性の関係性が解像度高く表現されているでしょ。
そんな松本隆は東京を離れ、いま関西で暮らしている。この本は京都の書店ホホホ座を運営する山下賢二が喫茶店で松本隆の話を聞き、それをまとめたもの。松本隆と喫茶店って組み合わせも最高。才能のこと、お金のこと、SNSのこと、いろんなことを語っている。月並みな表現しかできなくて申し訳ないけど、その内容にいちいちこんな大人になれたらかっこいいなあと思ってしまうのだ。それは、まさにシティボーイの禅問答。
達観の域に達しているというか、すべてに対してシンプルで飄々としているというか。
孤独と付き合えるようになると人間は強くなれるよって話がいちばん印象に残った。群をつくる羊はおとなしいイメージがあるけど、実は羊は一匹になるとものすごく強いそうだ。
風街を離れて松本隆が見ている風景には、新たな発見がつまっていた。
『喫茶店で松本隆さんから聞いたこと』
山下賢二著
夏葉社 ¥1,540
2021年に作詞家活動50年を迎えた松本隆の語りを京都の書店ホホホ座の山下賢二がまとめた一冊。さすが作詞家、「才能は神様から借りているもの」など記憶に残る名言、パンチラインが続出。何度も読み返してヒントをもらえる一冊になっている。いきものがかりの吉岡聖恵ら多数のミュージシャンが参加する松本隆トリビュートアルバム『風街に連れてって!』とセットで楽しめるはず。