2021.12.20

「九谷焼×スケート」で生まれた、伝統工芸の新しいカタチ

スケートカルチャーが今また注目を集めているけれど、ただ滑るだけじゃなく、そこから生まれるクリエイティブに着目して取り入れてみると、生活がちょっとおしゃれに、豊かになる。そんなわけで観点を変えて、“すべらない”スケートの話をいくつか。

「九谷焼×スケート」で生まれた、伝統工芸の画像_1

「九谷焼×スケート=未来の工芸」で新しい伝統を

「九谷焼×スケート」で生まれた、伝統工芸の画像_2
九谷焼の製土工場や工房、ショップなどを備えた複合型の九谷セラミック・ラボラトリーの前で。隈研吾氏による設計が小松市内の住宅地で異彩を放っている。

吉田良晴さん/クリエイター
2019年に石川県小松市に移住。九谷焼の総合施設「CERABO KUTANI」の運営に携わる傍ら、自身のブランド「九九谷」を旗揚げし、スケートカルチャーを含んだ新しい視点で九谷焼の魅力を発信。クルージングと音楽を楽しみながら活動中。


自身で手がける九九谷の作品の一部。スケートデッキの形をした陶器。ウィールの一輪にも美しい五彩が描かれている。

工事現場の矢印やコーンの陶器はストリートのスケートシーンで育った吉田さんらしいアイデア。コーンは一輪挿しで、玄関などに置いてもかわいい。

プールをイメージした新作の深皿がまもなく発売。カレーやパスタ皿にちょうどよい大きさと深さ。


スケートで培った感性を地域の新しい創造の普及に

 米軍基地に囲まれた青森県三沢市。アメリカンカルチャーに触れるには最高の環境で育った吉田良晴さんは、自然と中学生の頃からストリートでスケートボードを楽しむようになった。高校生活もスケート三昧。地元ショップの看板ライダーとしてさまざまな大会に出場し、卒業後に上京。中野を拠点にしながら日本各地や海外を転々とし、スキルを向上させ、スタイルをつくり上げた。2000年初頭にはNIKE SBの開発段階から携わり、契約ライダーとして活躍するなど、輝かしいキャリアを築いていった、が。

「20代半ばになって、スケボーで有名になっても飯が満足に食えるわけじゃないし、このままで大丈夫かと冷静に悩みました。思いきって、看板を背負って滑るのをやめたんです。その後はスケートで培ってきた感性を生かし、キッズの頃からアンテナを張っていた音楽を形にしたくてフルートを始めたんです」と、スケート仲間とのバンド生活がスタート。すぐにデモ音源を送った東京の音楽レーベルとの契約を果たし、日本中で演奏するなど充実の日々を送っていた。しかし音楽活動もメンバーの脱退に伴い、35歳で休止してしまう。「解散によって一時は方向性を見失っていましたが、逆に自由を手にしたとポジティブに考えるようになりました。スケートと音楽によって世界を知れたことで、日本のよさって東京だけではなく、地方にもあるじゃん、って思ったんです」

 スキルとキャリアを生かせる「日本の仕事」を探し始めた矢先、石川県小松市に建てられたばかりの九谷セラミック・ラボラトリーの募集に出会う。「仕事の内容は九谷焼の魅力を発信すること。伝統工芸を通じて日本を知れる。これだ、と思いました」。

 江戸時代に石川県で始まった九谷焼は、五彩の鮮やかな上絵付けが特徴。時代によって異なる作風が注目される伝統工芸だ。吉田さんはラボラトリーの運営陣として普及に努めながら、自身のブランド「九九谷」をプロデュース。スケートにまつわる器に上絵付けを施した新しい工芸を生み出している。

「現実的に、最初は無地の白磁で作ろうと思ってたんです。でも、ここに集まる作家さんたちにコンセプトを伝えたら興味をもってくれて素晴らしい絵を描いてくれたんです。けっして安くはないけれど、想像以上のものができ、初めての展示では多くのメディアが集まって、手応えをつかめました」

 手に取りやすいシンプルな生活のための器に比べ、デッキを陶器で形作るのは困難を極めたが、だからこそ無二の作品が生まれた。「1280度の高温で焼くと繊細な部分が溶けて、形をキープするのがすごく難しくて。板と足まわりを別々に焼いて、後でくっつけることにしたんです。職人さんのおかげで世界にないものができました」。若い世代にアプローチできる価格帯の作品も提案できるようになり、昨今は県外からのファンを着実に集めている。

「資源や環境の問題もあるし、大量生産された焼き物がバコバコ売れて、お金になる時代じゃない。でも九谷焼を軸に新しいカルチャーを提案できれば、作家や職人の深刻な後継問題にも貢献できるかもしれない。また何かしたいと思ったとき、スケートを通じて出会ったクリエイティブな人たちが日本中に散らばっている。目の前の壁を乗り越えようとする姿に無条件でリスペクトし合い、ハイタッチしてきた仲間がいることは、僕の宝だと思います」



Photos:Teppei Hoshida Yoshio Kato(Still) 
Stylist:Takeshi Toyoshima 
Composition&Text:Masayuki Ozawa

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