2020.10.23
最終更新日:2024.03.07

ジェーン・スー×高橋芳朗愛と教養のラブコメ映画講座Vol.36『ハート・オブ・ウーマン』

もし、すべての女性の考えていることが聞こえてきてしまったら…。あなたならどうしますか?

“女性が望むもの”を描いた秀逸なラブコメディ

ジェーン・スー×高橋芳朗愛と教養のラブコの画像_1

「女性たちには、男性器に対する羨望なんてものはないよ。男たちが自分たちの道具に夢中なのさ」ーーニック


——『恋愛適齢期』(2003年)『恋するベーカリー』(2009年)。この連載でも何度か取り上げたことのあるナンシー・マイヤーズ監督作品『ハート・オブ・ウーマン』(2000年)です。

高橋芳朗(以下、高橋):まずは簡単にあらすじから。「シカゴの広告代理店に勤めるクリエイティブ・ディレクターのニック(メル・ギブソン)は、タバコや酒など“男っぽい”商品の広告で数々のヒットを飛ばしてきた自信満々のバツイチ男。ところが、ライバル会社から引き抜かれてやってきたやり手の女性ダーシー(ヘレン・ハント)に狙っていたポジションを奪われてしまう。ショックを受けたニックはある日、ひょんなことから自宅のバスルームで転倒。目を覚ますと、なぜかあらゆる女性の心の声が聞こえるようになっていた。ニックは他人に弱みを見せないダーシーの心の声も聞いてしまうのだが…さあ、どうなる!?」というお話。

ジェーン・スー(以下、スー):かなりオススメです。というのも、20年前の作品なのに、思った以上に「いま」が描かれた映画だったから。日本の「いま」ってこれくらいでしょう。さすがにアメリカは日本より女性の管理職の数は多いし、これよりはマシだろうけど、それでも男性優位社会だから…。

高橋:うん、確かに。

スー:ラブコメ映画の軽さを備えつつ、シビアな現実もちょいちょい挟み込んでくる。自分より上のポジションに女性が立つことに男たちが苛立ったり、女性の話に耳を傾ければいいだけのことなのに、話も聞かずに「考える頭があるとは思えない」と腐したりする場面があるけど、アメリカでも日本でも、男性優位の会社だとまだまだあると思うわ。あそこまで露骨なのは一部の男性だろうけどね。

高橋:ダーシーの転職初日、新しい同僚との顔合わせのミーティングのシーンからいきなりひどかった。ダーシーが挨拶のスピーチをしているあいだ、モーガン(マーク・フォイアスタイン)の彼女を小馬鹿にした態度といったらもう。ああいう子どもじみたミソジニーはいまだにはびこっているんだろうな。

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スー:あのシーンは非常に重要よ。大きな会議室に集まった、ニックやモーガンを含む社員たち。そこに、競合他社から引き抜かれたダーシーが現れる。ニックは自分がダーシーのポジションに任命されると思っていたから、彼女の登場がおもしろくない。すると、モーガンが性的なおふざけをニックに仕掛ける。「気にすんなよ」って慰めなんだろうけど、女が嫌がりそうなおふざけを挟んで、わざとダーシーの存在を貶めるやり方には感心しないわ。ちゃかすことで、他者の大舞台を取るに足らないことにしてるんだもの。男の嫉妬が生々しいよね。 高橋:モーガンのダーシーに対する態度はなにからなにまで最悪だったな。映画の序盤の段階ですでに思ったんだけど、男女の社会的地位が逆転したパラレルワールドを舞台にしたフランス映画『軽い男じゃないのよ』(2018年)に通じるところがあるよね。序盤にミソジニー男の醜悪さをこれでもかと見せつけていく構成も含めて共通点は多いかなと。 スー:似てる似てる。ニックしかり、モーガンしかり、あの手のミソジニー男の何気ない振る舞いがとてもよく描けてた。だけど、そんな振る舞いをものともせず、ダーシーは鮮やかにプレゼンを始めるの。誰にもマウント取らず、実績もひけらかさず、自分が有能だってことを、転職一発目のプレゼンで示す。心ない噂をやんわり否定しながら、「いまなにをすべきか」をちゃんと部下たちに提示していたもの。ピンク色の箱に女性用消費材を入れてスタッフに配ってね。あの箱には、男にとっての「くだらないもの」がたくさん詰まってた。だけど、その「くだらないもの」を理解できないから、女性市場の広告が取れずに会社の売上が激減してる。なぜ私がここに来たかをわからせるための、パーフェクトなプレゼンだったな。うっとりしちゃった。 高橋:そのピンクの箱をニックが自宅に持ち帰って、フランク・シナトラの「I Won’t Dance」のレコードをかけて踊りながら開封するシーンもうまい見せ方だった。このくだりだけでもニックがどういう美学をもった男なのかがよくわかる。 スー:一応、全部試すんだよね。そこがニックの広告マンの意地。あそこはよかったな。そのせいで女の心の声が聞こえるようになっちゃうんだけど。
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高橋:文句言いつつも鼻パックから除毛ワックスまでひと通り全部試すからね。この場面、女性のアイテムを試すにあたってBGMも変えるのがおもしろくて。娘のバッグから勝手にCDを取り出すんだけど、これがまたアラニス・モリセットだったりフィオナ・アップルだったりして(笑)。さっきまでのシナトラとの対比が見事だった。 スー:メレディス・ブルックスもあったよね。強い女の象徴みたいな音楽ばかり。 高橋:そうそう、メル・ギブソンはこれでゴールデングローブ賞の主演男優賞にノミネートされているんだけど、ある意味この映画は彼のキャスティングが実現した時点でほぼ成功したといえるかもしれないね。やっぱりマチズモの象徴みたいな男優が演じたほうが俄然おもしろくなる題材だと思うからさ。そういえばメルギブ、最近また人種差別発言して炎上してたよね。 スー:またやったの!? 現実はニックのようにはいかないのが残念だね。この作品では、ニックとダーシーの恋模様と同じくらい、女性の心の声が聞こえるようになったニックの心境の変化が見所なのよね。傲慢→混乱→恐怖→気づき→奮闘→理解→反省→新たな恐れ→自分の弱さを認めて行動を変える、という流れ。最初の「混乱」シーンが秀逸よ。それまで自信満々だったニックだけど、女性たちの声が聞こえるようになって、自分が思い描いていた自分像と女性たちの評価に、かなりの隔たりがあることに気付く。かなりショック受けてたね。 高橋:あまりのショックからカウンセラーのパーキンス先生(ベット・ミドラー)のもとに駆け込んで「会う女性がみんな俺のことをバカって言うんです!」って(笑)。まあ、このぐらいのことは言われてるんだろうと覚悟していてもいざ耳に入ってきたら相当しんどいだろうね。そりゃあおのずと誰にでも優しく接するようになるよ。 スー:ニックの良さは、なにがあってもめげないところ。パーキンス先生に会ったあとは「よし、この能力を使ってダーシーを出し抜いてやろう」と思ったわけだけど、反面、オフィスの女性たちとおしゃべりする時間を持つようになって、なんだかすごく楽しそう。 高橋:いきなり給湯室の人気者になっていておかしかったね。そういった意味では、実はあまり痛い目には遭っていないんだよな。
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「旦那と別れて思ったの。自分に忠実である女は代償として愛に見放されるんだわ」ーーダーシー


スー:確かに。さっさと順応してたね。それにしても、ダーシーが最高だった。とげとげしいステレオタイプなキャリアウーマンではなく、仕事はできるが威圧的でも排他的でもない、人の意見を聞く余裕のある女性として、一貫して描かれている。ニックがいいアイディアを思いついたら、ちゃんと譲るもんね。ユーモアと余裕を兼ね備えた、傷付いた過去もある女性。むしろ、これから描かれるに値する女性像だと思ったよ。

高橋:そんなダーシーだけど「旦那と別れて思った。自分に忠実である女は代償として愛に見放される」というセリフが妙に印象的だったな。

スー:そのセリフ、私も印象に残った。夫に従順ではいられなかった自分を責めているのよね。この辺りも生々しい。

高橋:あとは音楽の使い方が意外に巧妙で楽しかった。基本的に選曲はクルーナーが歌うスタンダードナンバーで統一しているんだけど、ニックとダーシーとの愛の行方に関してはフランク・シナトラの「I’ve Got You Under My Skin」でうまくまとめていて。タイトルは「僕の心の奥深くに君は入り込んでしまった」という意味だから、女性の心が読めるようになったニックの境遇と見事にリンクしている。このシナトラをはじめとして、サミー・デイヴィス・ジュニアだったりボビー・ダーリンだったり、ニックが旧来的な価値観の男であることを音楽の趣味で示唆しているんだよね。

スー:だけど、ダーシーもシナトラ好き。シナトラは男だけのものじゃないのよって、ダーシーが表現してくれてるんだと思った。ところで、ダーシーのことを好きになってから、ニックは常に怯えていたよね。本当に人を好きになると、誰でも弱くなる。そして、傷つきやすくなる。

高橋:クライマックスのふたりのセリフのやりとりがまさにそんな感じだったけど、やっぱりラブコメ映画は最終的にはダイアローグがものを言うジャンルなんだって痛感させられたな。ラストシーンのキレ味には本当にうなったよ。「真夜中に君を助けにきた英雄みたいな口調だ。本当に助けが必要なのはこの僕なのに」というニックに対し、ダーシーは「救いを求めてきた人を追い返すなんて光り輝く甲冑を着た英雄のすることじゃないわ」って。

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スー:見逃してしまうような小さな会話にも、光るセリフがあったね。「女性たちには、男性器に対する羨望なんてものはないよ。男たちが自分たちの道具に夢中なのさ」ってニックに言わせたのは天才! 高橋:ニックがモーガンに「女は男性器を嫌っている。男性器を羨望するのは男」と言っていたね。これはパンチラインだな。 スー:細かい描写で言えば、女性の気持ちがわかるようになってからのニック。見たいものが見つからなくて、テレビのチャンネルをカチャカチャ変えるシーンがあったじゃない? あれって、いままでは平気だったコンテンツも、女性の感性を共有したら、見るに堪えないものばかりだったって描写よね。郵便物の仕分けを担当している女性社員エリン(ジュディ・グリア)につまらない仕事をさせてるのは自分だと気づいた流れも良かった。 高橋:ニックはかつての自分の行いを省みる姿勢があるからね。これは見習いたいところ。 スー:前半はちょっともたつくところもあるけど、後半は畳み掛けてくるよね。20年前の作品なので、さすがに今の基準に照らし合わせると不適切な描写もあるんだけど、女性の声が聞こえるようになってからのニックの変化を、ダーシーとの関係性を通して描いた流れはとてもよかった。だけど…この物語って、「男はわかってくれない! 男にバカにされないで理解されたい!」という女の怨念が産んだ作品だとも思う。ラブコメ映画で夢見させてよっていう。 高橋:その叫びは原題の「What Woman Want!」にストレートに打ち出されているね。ある意味、このタイトルにいまのスーさんの話が凝縮されている。 スー:ダーシーのなにげないセリフに「(私の)話を聞いてくれていたのね!」ってのがあったじゃない? あれ、まさに全女性の言葉!(笑)男が真摯に女の話を聞き、女としてではなく同じ人間として扱い、尊重し、協力し、蹴落とさず、最終的に「君の助けが必要だ」って言ってくるとか…。やっぱり、夢の世界かもしれない。 高橋:実はこの映画、2019年に『ハート・オブ・マン』と改題してリメイクされているんだよ。タイトルからもわかるように男女を逆転させているんだけど、次回はこれを取り上げて『ハート・オブ・ウーマン』と比較してみることにしよう。乞うご期待!

『ハート・オブ・ウーマン』

監督:ナンシー・マイヤーズ
出演:メル・ギブソン、ヘレン・ハント、マリサ・トメイ
公開:2001年1月27日(日本)
製作:アメリカ

Photos:AFLO

ジェーン・スー

東京生まれ東京育ちの日本人。コラムニスト・ラジオパーソナリティ。近著に『これでもいいのだ』(中央公論新社)『揉まれて、ゆるんで、癒されて 今夜もカネで解決だ』(朝日新聞出版)。TBSラジオ『生活は踊る』(月~金 11時~13時)オンエア中。

高橋芳朗

東京都港区出身。音楽ジャーナリスト、ラジオパーソナリティ、選曲家。「ジェーン・スー 生活は踊る」の選曲・音楽コラム担当。マイケル・ジャクソンから星野源まで数々のライナーノーツを手掛ける。近著に「生活が踊る歌」(駒草出版)。

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